ラグビーのジヤケツの色の敵味方 福井圭児【季語=ラグビー(冬)】


ラグビーのジヤケツの色の敵味方

福井)

いやはや、お寒うございます。暦の上では寒中ですが、体感的にも寒中で…。

寒がりの私にとっては、厳しい季節の到来。勤め先は在宅勤務が推奨されてありがたいのですが、家でパソコンの小さな画面に向かっていると、普段家事をしたり、くつろいだりしているときとは別の冷え方で。また、時々出社をすれば人の少ない社内は冷え切っているところへ窓もいつも開いていて、週末もなあ…ということで、どちらにしても寒いのであれば、なぜかそれが結構楽しいラグビー観戦へ、大学選手権決勝戦、天理対早稲田に行ってきました。

ノンアル観戦がこんなに冷えるものとは思いませんでしたが、おかげで集中力が増して、ひと席置きにしか人を入れず、後半風も出て喚起良好の国立競技場、打ち上げもなく解散してもなんとなくあたたかな帰り道でした。いえ、そりゃ寒かったですけど。

高校ラグビー決勝、大学ラグビー決勝が終わり、さあ、トップリーグへ、と移ってゆくはずでしたが、コロナウイルス感染者が多く出たため、開幕戦が中止となった、そんな金曜です。

ラグビー大好き俳人として、わたしもすこしずつ知名度を増しつつある、か、どうかはわからないが、最初は神戸製鋼と早稲田のファンとしてその一歩を踏み出した。俳句より数年遅いスタートだったと思う。

福井圭児は本名・福井慶三、姫路に生れ、神戸高等商業学校(現・神戸大学)、日本綿花社長、オリエント・リース(現オリックス)初代社長を務めるなど、神戸に多くのかかわりを持つ実業家。句集の序文は星野立子によるもので、「圭児さんといふと海外、それも印度を思ひ浮べます。白い麻のスーツに身を包んだ紳士の印象です」とあって、海外勤務も多かった由。

その福井圭児は俳句の初学のころ(昭和初期)を、昨年の蔵元シリーズで取り上げた、野村泊月に師事した。そんなこともあって、このタイミングでの登板と相成った。

さて、「ジヤケツ」だ。現代カタカナ語(って何なんだ一体)で言えば、ジャケットと同じ言葉の訳語。一方で、今、試合の際に着用のユニフォームは「ラガーシャツ」あるいは「ジャージ」と称されている。ちなみに、英語圏のサイトなどでは「rugby shirt」「rugby jersey」として販売されているので、現行の方がそれに近い。

では、作者独自の呼称かと言えば、そうでもない。ホトトギス雑詠選集には山口誓子の以下の句が掲載されている。

 ラグビーに饐えしジヤケツを著つゝ馴れ
(らぐびーにすえしじゃけつをきつつなれ)

どのくらいの期間をとらえたものかはわからないが、なかなかに体感に迫る句。すくなくとも、「饐え」たのだから、やはり上着などではありえず、ラグビーをプレーする際に着たユニフォームのことを指している。舶来の着衣という広い括りによって、ジヤケツの名がついたのかもしれない。

このジヤケツ、つまりラガーシャツは、まさにラグビーをはじめとするフットボールに必須のアイテムだ。もちろん、ほかのチームスポーツでも、見やすさや一体感の創出の面では便利だろうが、ネットで隔てられず、コースもベースも与えられずに、混じり合ってプレーするゲームでは、チームを識別するユニフォームが欠かせない。ラグビーのユニフォームは、ボーダー模様に馴染みが深いように感じられるが、海外には一色のチームや、必ずしもボーダーではない色のコンビネーションの国も多い。ユニフォームの色が国の代表チームの愛称になっているのが、ニュージーランド代表、その黒のジャージによって「オールブラックス」とされる。

今年、関西所在の大学としては三十六年ぶりに大学リーグの頂点に立った天理大は、黒一色のユニフォーム。負けたから言うわけではないけれど、黒はどうしても強く見える。いや、勝ったから強そうに見えるのか…。

今年の大学ラグビーは、観客席がひとつ置きとなり、その分、スタジアム全体に座ることになったため、新しい巨大な国立競技場のポールの裏から観戦した。試合が遠いサイドで行われていれば、全員が100キロを超す天理のフォワードの選手たちも豆粒のようにしか見えず、まさにそのユニフォームの色によって、大まかな敵味方の所在を知るのみとなる。

一昨年に開催のワールドカップでは、スタジアムの天井からケーブルで吊ってフィールドを縦横降下する最新鋭のカメラシステムによる映像が届けられた。選手たちの膝ほどの低さからポールの高さへ一挙に駆け上がるカメラは、それまでの標準であった観客席やグラウンドに固定されたカメラからの望遠の映像をはるかに超え、選手として出場する視点とも違う奇妙な臨場感を手に入れた。掲句が作られた頃、その未来はまだまだ遠かった。

ラグビー選手の動きではなく着衣のそれも色だけに言及し、色を「違え」たり「異にし」たりとも言わず、ただ「ジヤケツの色の敵味方」とされた表現は、まぎれもなく肉眼で見届けられたものがすべてであった頃の、ラグビーの姿なのだ。

『去年今年』(1982年)所収

阪西敦子


【執筆者プロフィール】
阪西敦子(さかにし・あつこ)
1977年、逗子生まれ。84年、祖母の勧めで七歳より作句、『ホトトギス』児童・生徒の部投句、2008年より同人。1995年より俳誌『円虹』所属。日本伝統俳句協会会員。2010年第21回同新人賞受賞。アンソロジー『天の川銀河発電所』『俳コレ』入集、共著に『ホトトギスの俳人101』など。松山市俳句甲子園審査員、江東区小中学校俳句大会、『100年俳句計画』内「100年投句計画」など選者。句集『金魚』を製作中。



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