馬小屋に馬の表札神無月 宮本郁江【季語=神無月(冬)】


馬小屋に馬の表札神無月

宮本郁江


馬小屋に馬の名前の書いてある札が掛かっていたというだけの景だが、この札を「馬の表札」と表現したことでイメージが広がった。この「表札」は、サラブレッドの厩舎のような、区切られた馬房のひとつひとつに掛かっている馬名板とも読めるが、昔の農耕馬で見られたであろう1頭だけを飼うための小さな小屋の景と読みたい。

「表札」という表現は、「擬人化」ならぬ「擬人間社会化」とでもいうべき技法で、そのことによって馬が人間社会の一員であるかのように読者に思わせ、そこからさらに飼い主の馬への愛情のようなものを想起させるという巧みな仕掛けが施されている。

また、馬にとって人間の存在とは、人間にとっての神と同じようなものかもしれない。馬は人間に逆らうことができず、人間は神には逆らえない。これがパラレルだとすれば、神が留守である神無月のあいだ、馬には飼い主たる人間の不在となり、馬がこの世の主人となっているという、そんな夢想を抱かせる。主人として堂々と世に君臨する馬には、墨入れされた檜の表札がよく似合うことだろう。

ここからは蛇足だが、馬が主人になっている物語として思い出すのは、ジョナサン・スウィフトの「ガリバー旅行記」だ。ガリバーが最後に旅をしたのはとても理性的で知性的な馬(フウイヌム)が支配する国で、そこでは人間(ヤフー)は醜悪な性質に退化していて馬に軽蔑され、一部は使役されている。ガリバーはイギリスに帰国後、人間、なかでも妻や子がヤフーに見えて嫌悪感を覚えてしまう。そこで立派な馬小屋を建てて馬を飼い、そこで過ごすことが日々の慰めとなるという場面が描かれる。掲句は、ガリバーがその馬小屋に掲げていたかもしれない、ヨーロッパスタイルの瀟洒な表札をも想像させる。

ににん」2020年秋号収載。

鈴木牛後


🍀 🍀 🍀 季語「神無月」については、「セポクリ歳時記」もご覧ください。


【執筆者プロフィール】
鈴木牛後(すずき・ぎゅうご)
1961年北海道生まれ、北海道在住。「俳句集団【itak】」幹事。「藍生」「雪華」所属。第64回角川俳句賞受賞。句集『根雪と記す』(マルコボ.コム、2012年)『暖色』(マルコボ.コム、2014年)『にれかめる』(角川書店、2019年)


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