これから海に「行く」というよりは、「行かない」あるいは「行けない」のだろう。いやいや、「行ける」とか、「行けない」とかいう問題ではなく、このサングラスが映さないのは「あの日の海」なのである。たとえば、大切なだれかと浜辺を歩いていたときに見た、あのときの海。それはきっと若かりしころの甘酸っぱい思い出となってしまって、もうサングラスには映らない。『光まみれの蜂』(2012)所収。(堀切克洋)
【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】
さうらしく見えてだんだん鴉の巣…
一つづつ包むパイ皮春惜しむ 代…
【春の季語=晩春(4月)】春惜…
たくさんのお尻の並ぶ汐干かな …
わが家の見えて日ねもす蝶の野良…
【春の季語=初春〜晩春(2月〜…