大河内伝次郎西瓜をまつぷたつ 八木忠栄【季語=西瓜(秋)】


大河内伝次郎西瓜をまつぷたつ

八木忠栄


大河内傳次郎(1898-1962)は、戦前の時代劇スター。

阪東妻三郎、嵐寛寿郎、片岡千恵蔵、市川右太衛門、長谷川一夫とともに「時代劇六大スタア」と呼ばれた、とウィキペディアにある。

私のような年代(1980年代生まれ)だと、彼らの名前を知ってはいても、自分で努力をしないと、なかなか作品を見る機会はない。

ただ、俳句をやっていると、年上の友人とこういう「大衆文化」の話にもなるから、機会があったら見てみようかな、と思ったりもする。

サイレント映画の剣劇は、まるでダンスのような美しさがあるし、トーキー初期に見られる奇妙な発声は、もうそれだけで笑ってしまう。

もちろん、大河内傳次郎の真似をして、西瓜を切ってみたと解釈できなくもないが、あくまで想像の句、つまり大河内傳次郎であれば、見事にまっぷたつに切ってくれるのではなかろうか、と考えたと解釈するほうが妥当だろう。

作者の目の前には、ただ「まつぷたつ」になる前の、まるまるとした西瓜があるばかりである。

このような「大衆文化」をレファレンスとするのも、何も俳句に限ったことではないが、文芸のひとつの方法である。

林雅樹の〈のび太くんしやうがないなあ秋の暮〉(『俳コレ』)、関悦史の〈レンジの餅ら伸び来て綾波レイの声〉(『六十億本の回転する曲がつた棒』)という句など、最近はアニメやマンガを参照する句が多いかもしれない。

これらの句が悪いというわけではないが、しかし平面文化を参照すると、俳句も平面的なものにならざるをえない。肉体性は希薄となる。

一方で、「大河内傳次郎」はフィクションの登場人物だが、それは「チャンバラ遊び」などのような身体性と結びついている。そこは大きな違いだろう。

「雑俳 第20回【連作句《大河内伝次郎》】」より引いた。

(堀切克洋)


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