【連載】
もしあの俳人が歌人だったら
Session#15
毎月第3日曜日に絶賛配信中。気鋭の歌人のみなさまに、あの有名な俳句の作者がもし歌人だったら、どう詠んでいたかを想像(妄想)していただくコーナーです。今月のお題は、橋本多佳子の〈あぢさゐやきのふの手紙はや古ぶ〉。ユキノ進さん・鈴木美紀子さん・野原亜莉子さんの御三方にご回答いただきました。
【2022年6月のお題】
【作者について】
橋本多佳子(1899-1963)は、現在の文京区本郷生まれ。結婚後は、福岡県小倉市に移り住み、高浜虚子が来遊したことを期に句作を開始。杉田久女に師事。30歳の時、義父の逝去にともない大阪・帝塚山に転居すると、1935年から山口誓子に師事し、「馬酔木」同人となった。1944年以降は、疎開先の奈良市あやめ池に住む。誓子流の硬質な文体に陰影ある柔らかさを調和させた句を作る多佳子は、戦後に西東三鬼、平畑静塔、秋元不死男らと出会い、戦後俳壇の「女流スター」となった。
【ミニ解説】
梅雨のシーズンの代表的な植物といえば、アジサイです。俳句では、四枚の萼の中心に細かい粒のような花をつけるので「四葩(よひら)」ともいわれますし、色がしだいに変化するので「七変化」とも呼ばれますが、歴史を遡ってみると、『万葉集』にはアジサイの歌が2首収められています。
言問はぬ木すらあぢさゐ諸弟(もろと)らが練りのむらとにあざむかれけり 大伴家持
あぢさゐの八重咲くごとく弥(や)つ代にをいませ我が背子見つつ偲はむ 橘諸兄
家持の歌は、色が変わるアジサイの花を「心変わり」になぞらえていて、諸兄の歌では、天皇の御世を寿ぐ「おめでたい」植物として讃えられています。とはいえ、それほどメジャーな花であったわけではなく、江戸時代には「ユウレイバナ」と呼ばれてむしろ敬遠されていました。なので、俳諧ではそれほど例句は多くありません。
日本で紫陽花の人気が高まったのは、戦後に北鎌倉の「明月院」の庭に植えられたのが始まりともいわれています。仏ともゆかりのある「甘茶」と少し似ているということもあってか、寺などでは縁起を担いで植えられるようになりまして、いつしかお寺には紫陽花、というイメージができあがったのでしょう。
この句はたとえば、文机に手紙が置かれている情景が思い浮かびます。書きかけの手紙なのかもしれませんし、封をしてある手紙が、雨のために投函できずに夜を越してしまったのかもしれません。紫陽花とちがって手紙は物質的に変化していないはずなのに、なんだか「はや」古びてしまったように感じられる。でも、こういうことってありますよね。封をしたとたん、手紙がもう遠くに行ってしまったような…。
長雨で家にこもっているうちに、庭あるいは近所の紫陽花もいつしか色を変えていきますが、その〈うつろい〉が、部屋のなかの自筆の手紙にも感じられるという着眼は、当時の女性ならではのものでしょう。「心変わり」を詠んだ家持の延長線上にありつつも、機知がそれほど強調されておらず、まさに季語と「つかずはなれず」といった感じでしょうか。
紫陽花は、近代短歌も好んで取り上げてきた素材。以下に、いくつか引いてみましょう。
紫陽花のその水いろのかなしみの滴るゆふべ蜩(かなかな)のなく 若山牧水
あぢさゐの藍のつゆけき花ありぬぬばたまの夜あかねさす昼 佐藤佐太郎
美しき球の透視をゆめむべくあぢさゐの花あまた咲きたり 葛原妙子
あぢさゐの花をおほひて降る雨の花のめぐりはほの明かりすも 上田三四二
さて、多佳子が「きのふの手紙」を前にしたときの感慨を「歌」に詠んでいたならば、どんな作品となっていたでしょうか。
手紙を書くのが好きだ。週末の午前中に音楽を聴きながら遠くの友人あての手紙を書いている時間はとても楽しい。封筒に宛名を書いて切手を貼り、ポストまで投函にいくその過程もいい。たまに歌集を謹呈いただくことがあり、住所が書いてある場合は感想を書いてお礼状を出す。好きな歌を選んでその歌について書いていると、面識のない歌人もなんだか友人のように思えてくる。
谷川俊太郎さんの有名な「手紙」という詩はこんな一節で始まる。「電話のすぐあとで手紙が着いた/あなたは電話ではふざけていて/手紙では生真面目だった」。手紙は親しい人の知らなかった一面を教えてくれる。そして面識のない人との距離を少し縮める。手紙には相手との関係を築き直すような力があるのだ。
今はメールやLINEが手紙に置き換わっていると言われるが、実際は電話よりカジュアルな手段として使われることが多い。カジュアルな方からLINE>メール>電話>手紙の順になっているのではないか。コミュニケーションの総量が増える一方で、手紙はより希少なものになりつつある。だからこそ思いがけず届く一通の手紙には力があるのだ。そう信じて、手紙を書いている。
(ユキノ進)
「物語欲」という言葉を聞いたことがあります。それはときに食欲、睡眠欲、性欲よりもわたし達の脳を支配する甘美な力があるらしいのです。どんなに穏やかで満ち足りた生活でも、その時間が長く続けば平和という退屈に差し替えられ、刺激を求めたくなってしまう。たとえ、それが愚かで痛みに満ちた悲しい物語だとしても。人間には戦争をしたいという遺伝子が組み込まれているのだという説があり、それも「物語欲」と何らかの関連がありそうです。
あじさいはまるで一色でしか咲けない他の花々を憐れむように色を変えてゆきます。したたかに、気まぐれに、移り気に。いいえ、移り気なのはあじさいではなく、それを見つめるあなたの眼差しの方なのかもしれません。あじさいはあなたの心変わりを恐れて退屈させないように淡く、濃く、みずからの肌の色を脱ぎ捨てゆく。それはたぶん、零れそうな想いをしたためた色彩の手紙。あなたを濡らす水無月色の物語なのです。
(鈴木美紀子)
ハイドランジア(西洋アジサイ)が好きだ。紫陽花というのは不思議な花で、土によって花の色が変わる。土が酸性だと青い花が咲き、アルカリ性だとピンク系になる。日本に青い紫陽花が多いのはこのためだ。
粘土は袋を開けた瞬間から乾燥が始まり、すべてのものは古びてゆく。人形は歳を取らないと言われているが、それでもやはり歳を取る。経年劣化だけでなく、なんとなく雰囲気が老人になっていくのだ。それは言葉がどんどん古くなるのに似ている。新しいものはすぐに廃れる。流行語があっという間に死語になる。こんな駆け足の時代に、どんな言葉を残したらいいのだろう。わたしの人形はあとどのくらい生きていられるだろうか。表現者として常に新鮮でありたいと思う。
言葉はあまりひねり回さず、新鮮なうちに短歌にするのが最近気に入っている。さて、粘土が乾く前に造形しなければ!
(野原亜莉子)
【今月、ご協力いただいた歌人のみなさま!】
◆ユキノ進(ゆきの・すすむ)
1967年福岡生まれ。九州大学文学部フランス文学科卒業。2014年、第25回歌壇賞次席。歌人、会社員、草野球選手。2018年に第1歌集『冒険者たち』(書肆侃侃房)を刊行。
Twitter:@susumuyukino
◆鈴木美紀子(すずき・みきこ)
1963年生まれ。東京出身。短歌結社「未来」所属。同人誌「まろにゑ」、別人誌「扉のない鍵」に参加。2017年に第1歌集『風のアンダースタディ』(書肆侃侃房)を刊行。
Twitter:@smiki19631
◆野原亜莉子(のばら・ありす)
「心の花」所属。2015年「心の花賞」受賞。第一歌集『森の莓』(本阿弥書店)。野原アリスの名前で人形を作っている。
Twitter: @alicenobara
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