やつと大きい茶籠といつしよに眠らされ 飯島晴子【無季】


やつと大きい茶籠といつしよに眠らされ)

飯島晴子

前回、晴子には赤子俳句が多いと言ったが、その一つがこれである。はっきりとはしないが、その直後に〈草に木に手を隠しゆく宮参〉が並べられていることもあり、私はそう解釈している。初孫が生れた五年後の作である。

茶籠、しかも「大きい茶籠」と言われるといかにも赤ん坊と同じような大きさという感じがする。茶籠と赤子と、ごろんと夕方の畳に置かれている様子、赤子の顔に茶籠の影が落ちている尊い景が想像される。「眠らされ」という一歩引いた措辞もいいし、「やつと」から出る夕暮の雰囲気もいい。「やつと」はおそらく「ようやく」の意味だが、私はなんとなく擬態語的な意味合いも重ねて読んでいる。少し雑に、「ヤッ」と。〈橡の花きつと最後の夕日さす〉の「きつと」も「おそらくは」の意味なのだろうが、「キッ」と鋭く夕日がさす感じもあると思う。

さらに言えば、掲句の少し前の〈つひに老い野蒜の門をあけておく〉〈鶯に蔵をつめたくしておかむ〉〈かげろふの坂下りて来る大あたま〉なども、私としては赤子の誕生までと思うと妙に納得してしまい、作者の意図ではなかろうが、今となってはそうとしか思えなくなっている。そして〈草に木に〉のあとにある〈よき声の椿をはこぶ闇路あり〉も、「椿」が赤子に思えて仕方ない。

全て深読みである。しかしそれは読者の勝手。私自身の作に関して言えば、別に俳句で何か特定のものを描きたいとは思っていない。ぜひ深読みしてもらいたいのである。

小山玄紀


【執筆者プロフィール】
小山玄紀(こやま・げんき)
平成九年大阪生。櫂未知子・佐藤郁良に師事、「群青」同人。第六回星野立子新人賞、第六回俳句四季新人賞。句集に『ぼうぶら』。俳人協会会員


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【小山玄紀のバックナンバー】

>>〔1〕幼子の手の腥き春の空   飯島晴子


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