神保町に銀漢亭があったころ【第120回】吉田類


酔いどれて「銀漢亭」

吉田類(ライター、酒場詩人)


「銀漢亭」は、神保町交差点から裏小路へ迷い込んだ先。普段この界隈を夜に歩くことはない。ありきたりの雑居ビルの一隅が夜の闇に沈むと一変する。表通りのようなランドマークは見当たらず、僕は来るたびに店の灯りを探していた。

まさに銀河のはずれをさ迷ってから「銀漢亭」の入り口へと吸い込まれる。中は通路のような立ち飲みスペースが奥へとのびていた。気付けにシークワーサー割りを頼む。酩酊する意識をリセットするにはうってつけの酒だ。思えば素面でお邪魔した覚えがない。大抵は、バー「人魚の嘆き」から書泉グランデ脇の「兵六」ではしご酒をした後に立ち寄るからだ。飲兵衛は街ごとに飲み処をつなぐルートを持つ。それは酔いどれの辿るけもの道に他ならない。いつのまにやら「銀漢亭」は神保町での僕の最終点となっていた。

店主は奥の厨房で何やら調理中らしい。誰にも慕われる生真面目で実直な人柄。客の大半は俳句を嗜む。けれど俳人にかぎらず来る客は拒まなかった。一風変わった客に又右衛門と名乗る男性がいた。彼はお見合い歴100回以上を誇る。あるいは若手俳人のホープ‶麒麟″くんも来ていた。隅の方でジョバンニとカムパネルラが話し込んでいても不思議ではない。そんな浮世離れした雰囲気があった。カウンター周りを手伝うお姉さんの、勘どころを押さえた客への応対は絶妙。小劇場の舞台を見るような気分が味わえた。

主は包丁をにぎりながらも俳句結社立ち上げの構想を練っていたそうな。果たして店主は結社の主宰者となった。それでも店は続けて欲しいなあ、なんて身勝手な考えが浮かんだものだ。けれど閉店は主の決めたこと、致し方ない。

先日、登山靴を買った帰り道。通りすがりにあの裏小路を覗き込んだ。コロナ禍もあってか人影はない。虚しく佇むビル影の向こう。夜空に星が瞬き始めた。何処かで列車の汽笛が鳴ったような気がする。僕は、「銀漢亭」に「銀河鉄道の夜」をオバーラップさせていた。

これからも懐かしく思い出すだろう。俳人・伊藤伊那男さんの柔らかな笑みとともに。


【執筆者プロフィール】
吉田類(よしだ・るい)
1949年高知県生まれ。ライター・酒場詩人。BS-TBS「吉田類の酒場放浪記」は次回(2月22日)放送でなんと1000回! 著書『東京立ち飲み案内』(2009年)でも銀漢亭を紹介するほど、お店を愛してくださった常連のおひとり。



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