神保町に銀漢亭があったころ【第88回】潮田幸司

つながりと後悔と

潮田幸司(「銀化」編集長)

失われて初めて有難さがわかるというのは世の常だが、銀漢亭にはとりわけその感が強い。私にとって銀漢亭での思い出はこれから沢山できるだろうと思っていたのに、その機会が永遠に失われてしまったからだ。

銀漢亭に通い始めたのは3年前ぐらいだから、私はまったくの新参者。銀漢亭からみて最晩年の客だろう。噂は聞いていたので、結社の打ち合わせの帰りに「ぜひ行ってみたい」と言って連れて行ってもらったのが最初だった。

その後、俳句の勉強会と称して毎月、俳句仲間4人で銀漢亭の中ほどの半円形のテーブルを囲むことになる。何やら俳句がいっぱい書かれた資料をそれぞれ見ながら、真面目?に議論したり、笑ったり怒ったりしているのは、傍から見たらかなり異様な光景だったと思うが、銀漢亭では俳句の話をしている人ばかりだったから違和感がなかった(と思う)。少なくとも他の場所では出来なかっただろう。その時の資料を見ると、どれもワインで汚れているから勉強会の成果は心もとないが、とても楽しい時間ではあった。

銀漢亭では、なにかと縁のある人との出会いが何度もあった。その一人が当サイト運営の堀切さん。2015年の冬、パリで無差別テロ事件が起きた直後に出会い、緊迫した雰囲気の中のんびりと吟行句会をともに楽しんだ。再会後も銀漢亭に行くとけっこうな確率で会ったような気がする。

伊那男さんと最初に話したのは井上井月の話だった。たまたま井月と私が同じ新潟の長岡で育ったことから、伊那男さんが長岡に行った話も聞いたが、まだまだ聞きたいことが沢山あった。

阪西敦子さんとは勤め先のつながりで話すたびに共通の知人が増えたが、もっと他の話も出来たのにと思う。銀漢の谷岡健彦さんとは家が近いだけのつながりだったが、演劇の話をもっと聞きたかった。等々ほかにも沢山あるのだが、いまさら悔やんでも詮無きことである。


【執筆者プロフィール】
潮田幸司(しおた・こうじ)
1955年福島県生まれ、2004年「銀化」入会、2007年同人、2017年より編集長。



horikiri