【書評】中沢新一・小澤實『俳句の海に潜る』(角川書店、2016年)

人間ならざるものの方へ
――中沢新一・小澤實『俳句の海に潜る』(角川書店、2016年)

堀切克洋(「銀漢」同人)

俳句の深層にある運動感覚は海洋的なものである――これが、本書で展開される最も魅力的な仮説である。俳人・小澤實(「澤」)が水先案内人となって、人類学者・中沢新一と俳句における自然観について語る本書を貫くのは「海」と「陸」の対比だ。理論的前提となるのは、中沢の代表的著作『アースダイバー』(講談社、2005年)である。

この本では、縄文時代の地図をもとに東京という都市を構造分析することがテーマとなっている。縄文時代に海であった「湿った土地」には死の匂いが漂い、異界との通路を開く。対して陸地であった「乾いた土地」には、定住・稲作を基盤に都市的・弥生的な文化・文明が展開する。

この対比をもとに俳句の本質を明らかにしようとするのが、中沢・小澤の対談の軸である。俳句は「人間と非人間的の間の通路」を開こうとするという点できわめて縄文的であり、その根源には人間も動植物もひとつながりの存在であるという古代的なアニミズムが認められるというのが中沢の主張だ。いわば、平成の根源俳句論である。

本書では、四つの対談のなかに中沢のふたつの講演「俳句と仏教」「俳句のアニミズム」が差し挟まれ、一神教に象徴される近代的思考からの脱却を図るための戦略としての「縄文時代の仏教」の重要性が説かれている。

一方で、深川、甲州、諏訪と場所を変えながら『俳句』誌上で行われてきた両者の対談には、俳句の様々な近代的制度(結社、師系、句会)における考察は欠落していると言わねばならない。全編を通じて小澤が聞き役に徹しているため、実作をめぐる議論が深まっていない点が惜しまれる点だ。

しかし、東日本大震災以後における自然認識の再検討という文脈のなかで、中沢の「芸術人類学」を参照することは無意味なことではない。山本健吉オギュスタン・ベルクなど、非ヨーロッパ的な自然観に注目した論考がなかったわけではないが、文化と政治の関係に自覚的な思想史としての俳論はこれまで圧倒的少数だったからだ。

本書を通じて繰り返し評価されるのは、松尾芭蕉・飯田蛇笏・金子兜太の三者である。いずれも都市から遠く離れた場所の「地霊(ゲニウス・ロキ)」に耳を傾けた作家だが、それらを人類史的な観点から読み直すという作業は、人間中心の俳句を徹底的に排除しつつも、自然詠の読解可能性を拡張することにつながる。これは、国際化の時代における俳句のあたらしい解釈であり、山本やベルクの仕事にも連なるものであろう。

(『俳句』2017年5月号掲載分に加筆)

【執筆者プロフィール】
堀切克洋(ほりきり・かつひろ)
1983年生まれ。「銀漢」同人。第一句集『尺蠖の道』にて、第42回俳人協会新人賞。第21回山本健吉評論賞。

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