【第2回】湯を焚く

【第2回】
湯を焚く


冬麗の微塵となりて去らんとす 相馬遷子

相馬遷子は東大病院第一内科出身である。医局の違いはあれ物療内科の堀口星眠とも交流があり、馬酔木に参加していた。遷子のほうが先輩であり、星眠が軽井沢に「森の家」を構えたころには、すでに佐久で医院を開業していた。

自転車の師とわが歩む春の暮 堀口星眠

佐久と軽井沢は近くであり、星眠たちとも交流が深かったようで、お互いによく訪問し合っていたようだ。掲句は星眠が遷子のもとを訪ねた時の句。遷子は往診用の自転車で最寄り駅まで迎えに来たそうだ。

啄木鳥やつゆけき薪を焚きはじむ 堀口星眠

 「森の家」では、当然、現在のように電気・ガスは引かれておらず、すべて薪により煮炊きしていたそうだ。軽井沢の木々の間は湿度が高いので、薪も露けくなっていたのだろう。そのすこし湿った薪は燃えにくいのだろうが、それを啄木鳥の音が聞こえる中、ゆっくりと火を起こして焚きはじめた、という高原の秋におけるゆっくりとした時間の使い方が感じられる句である。この句の解説の中に

かなかなや友の焚くなる湯にひたり 相馬遷子

という句も紹介されている。森の家に泊って、星眠のもてなしを受けた喜びの感じられる句である。

(庄田ひろふみ)


【執筆者プロフィール】
庄田 ひろふみ(しょうだ・ひろふみ)
昭和51年生、平成11年より天為同人
令和7年 一句集「聖河」上梓



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