神保町に銀漢亭があったころ【第39回】石井隆司

かつ結びて

石井隆司(元「俳句研究」編集長)

大いなる哀しみを体験した人は、そのぶん他人に、やさしくなれるという。

伊藤伊那男さんは、そんな人だ。

そして、齢を重ねてゆくごとに、柔和な顔になり、彫りが深くなる。

「男の顔は履歴書」というが、その通りの人なのだ。

男の生き方として、伊那男さんに魅了される人は多いと思う。

柚口満さんがいる。菊田一平さんがいる。太田うさぎさんもいる。みな、立ったまま、飲んでいる。しかし、半分くらいは、サラリーマン風の知らない人たちだ。そんな光景が思い出される。

銀漢亭の開店当初は、椅子はなく、完全な立ち飲みだった。精算も、現金で行っていた記憶がある。それが、いつしか椅子席が設けられ、精算もクーポン制になった。

お客さんも、次第に俳人が増えていき、普通のサラリーマンが見られなくなった。そのころから、私は、開店中は行かないようにしていた(私がいると、俳人諸氏に余計な気を遣わせているようで、申し訳ないと思ったからである)。

「俳句を仕事にしていなかったら、銀漢亭はどんなに楽しい場所だろう」と、いつも思っていた。

伊那男さんに用事のあるときは、開店前に訪れた。照明を少し落とした、静かな店内で、打合せをした。伊那男さんは、仕込みの忙しい時間なのに、丁寧に対応してくださった。

開店時間が近づくと、辞去する。伊那男さんは、緊張とも高揚とも取れる顔つきで、店を開ける。これから宴(うたげ)の時間が始まる。ハレの時間に入っていく伊那男さんの顔は、一瞬、哲学者のように見えた。

銀漢亭の閉店を知ったとき、真っ先に浮かんだのは、『方丈記』の一節だった。

ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし

この世は、無常。しかし、うたかた(泡)のような私たちであっても、「かつ結びて」という事実は揺るがない。

私がそうであったように、銀漢亭に集う人びとは、ここで「もとの水」を排出し、新しい水を注入され、結ばれていった。そんなエピソードがたくさん生まれる場所だった。

古くは鈴木真砂女さんの「卯波」、近年では麻里伊さんの「庵」、そして京都・祇園の「米(よね)」などと並んで、銀漢亭も俳壇酒場の「殿堂入り」を果たした。

ただひとつ異なるのは、銀漢亭ではお客さんの多くが俳人となったこと。これは偉業であり、すべては伊那男さんの魅力なのだろう。

「男ごころに男が惚れて」と始まる<名月赤城山>の歌詞に倣うならば、銀漢亭は、「伊那男ごころに男女が惚れて、意気がとけ合う銀漢亭」だったのだ。

【執筆者プロフィール】
石井隆司(いしい・たかし)
元「俳句研究」編集長。現在、フリー編集者。


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