神保町に銀漢亭があったころ【第73回】芥ゆかり

鮮やかな幕引き

芥ゆかり(「天為」同人)

伊那男先生の銀漢亭閉店の決断は本当に鮮やかでした。「とりあえず今週(も)休みます」という手書きの貼紙の扉が再び開くことはありませんでした。コロナ禍が後押ししてしまいましたが、その後の状況を見れば、機を見誤らぬタイミングで「お見事だった」のだと思い寂しさを慰めています。

誰に手を引かれて銀漢亭に迷い込んだのやら。初めて伊那男先生にお会いしたとき、お店を始められるまで金融業界でバブル期を過ごしどん底も味わい、それをきれいに整理された後の居酒屋亭主への転身と伺って、同業者であった私はそのしなやかな生き方の格好よさに感銘を受けたことを覚えています。その方がある時はオトメ、ある時はトノにも変身されることに気づいたのは後のおはなし・・・。今回の潔い幕引きはうなづけました。

ところで私は下戸であります。一人ふらっと立ち寄って一杯、なんて行きつけの店は絶対持てないと諦めていたのに、酒豪揃いの銀漢亭はやさしく受け入れてくれました。一杯の生ビール(プチグラス)と伊那男先生のお料理が楽しみで、寒い夜の仕事帰りの粕汁はほっこりと美味しかったなぁ。時に清人さんの牡蠣小屋になり、焼きそば屋にもなる銀漢亭はお祭りの夜店のようでした。

(銀漢亭の写真が手元にないので、気仙沼にご一緒したときの写真を…)

今回、克洋さんのナイスな企画「神保町に銀漢亭があったころ」で毎日登場する皆さんにも、それぞれ偶然、必然で店の扉を開けた最初の瞬間があったことに感慨深いものがありました。何の約束もせずふらっと立ち寄って、出会い、言葉を交わすことのできた綺羅星のごとき顔ぶれに、なんと贅沢な時間と空間であったのだろうと改めて感謝します。

今思えば「密」の極みであった湯島句会のあの熱気、お店から声も身体もはみ出るOh!句会。思い出はとめどなく尽きません。今はすっかり形を変えたあの場所を通るとき、必ず立ち止まってしまうのです。

伊那男先生、銀漢亭は本当にカッコいい居酒屋でした。


【執筆者プロフィール】
芥ゆかり(あくた・ゆかり)
「天為」同人、俳人協会会員。



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