明るさと暗さを交差させた写生の風景には、情感が漂う。
百の田の風いくたびも青嶺さす
七月のくらきところを鷄あゆむ
うすものに風あつまりて葬了る
炭の炎の美しく立つ旅愁かな
薄氷をしぐれの後の日がぬらす
洛中をすぎゆく風も朧にて
描写のなかに現れる歴史や文化、あるいは人の営みは、哀しくも可笑しくもある。
修羅くぐる夢いくたびも朝曇り
起し絵のおもひつめたる殺しかな
降る雪や天金古りしマタイ伝
貧乏はいそいそ涅槃図をひろげ
首出して湯の真中に受験生
子供を詠んだ句も多い。丁寧な観察と描写には、強い生命力を感じさせる。
大旦はじめの言葉嬰が出す
初泣きの水飲みてよき声を出す
にのうでの嬰児のうぶ毛暑をきざす
寝冷子のまはりが昏しやはらかし
初秋の子がふぐりさげ地をたたく
70歳を過ぎて結婚、主宰の継承、老いの自覚は切実であった。だが、年齢とは裏腹に新しい人生が積み重なっていった。
かたつむり老いて睡りを大切に
木耳を踏み山彦の老いゆくよ
齢おもふたび炎天のあたらしき
白地着てせつぱつまりし齢かな
おのが名に振り仮名つけて敬老日
病弱でありつつも戦前戦中の動乱のさなかに学を積み、戦後は教授職を得て、晩年まで独身であった作者の恋愛遍歴は分からない。写生の句にも艶めいた表現が垣間見える。
浴衣着て水のいろまち星流れ
織るまへの糸のしめりも良夜かな
山茶花の艶極まりてしぐれけり
満天星の花の盛りのあさきゆめ
蝌蚪に足出てやはらかき童女たち
誰のことかは分からないが恋を思わせる句もある。
身のところどころに黒子うすごろも
はつふゆの唇をひらきてふしあはせ
冬灯消し憎きをとこに会ひにゆく
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