雪女郎抱きたし抱けば死ねるかも 吉田未灰【季語=雪女郎(冬)】

雪女郎抱きたし抱けば死ねるかも

吉田未灰
(『独語』)

 吉田未灰(よしだみかい)は、大正11年生まれ。戦中に「雲母」「草汁」等に投句。戦後は、「暖流」「鴫」「群峰」「俳句人」等を経て「秋」同人となる。昭和25年、27歳の時、群馬県渋川市にて「やまびこ」を創刊、主宰。地方俳壇に尽くし、県教育委員文化功労章、高橋元吉文化賞、高崎市文化賞。地域文化功労者文部科学大臣表彰などを受賞。「やまびこ」は、平成28年まで66年間にわたり群馬県の有力結社として君臨した。句集に『傾斜』『半孤』『独語』『刺客』『繹如』『無有何』『恬淡』『上毛野』など、エッセイ集に『火と鉄』がある。

 主宰としては、作家の個性を尊重する指導方針を見せた。自身もまた、結社や師の作り方に影響を受けず、自分流の俳句を詠んだ。

 鉄道関係の仕事に就いていたらしく、蒸気機関車のボイラーで火を扱う「火夫」を詠んだ句が多い。火と向き合う職業柄か、心に火を宿し、火を詠みつづけた。仕事を詠むことは、自分を詠むことであった。

  機関車に潜る白息交しつつ

  火夫春愁火色に染みし胸ボタン

  芽吹くもの目搏つ終生火の虜

  メーデー不参の火色に憑かれ火がいのち

  五月火夫歯のみ涼しく機関車に

 人生詠も多い。人生の写生は、自身の生き方と向き合うことであった。肯定的な描写はしていないものの、がむしゃらな生き方に満足している姿が浮かぶ。

  木の実独楽人生傾斜して廻る

  竹落葉わが手をいつも倖せ逃げ

  葱の花生きるといふはくり返し

  独楽疾し行く日来る日の血まみれに

  生きざまのまこと愚かし田螺這ふ

  死ぬる日は百虫すだく頃とせむ

  わが名未灰生くかぎり踏む霜柱

 任侠をテーマにした句も目を惹く。群馬県ゆかりの江戸時代の侠客、国定忠治のことなのか、高崎市を本拠とする北関東大久保一家のことなのか、任侠や侠客を思わせる句を詠んだ。それらは物語性のある句へと発展し、新しみのある表現となった。

  仁侠の地の木枯や叫ぶごと

  刺客待つゆとりのごとし懐手

  かたまつて蝌蚪ら密議をこらしゐる

  謀りごといくつ蛙の目借時

  任侠の気風いまなし括り桑

 社会風刺や批判のような句もある。本来感情的な句は評価しにくいのだが、未灰が詠むと面白く感じるから不思議だ。俳句が自由であることを知る。

  饒舌の彼奴を泉の辺に置くな

  雀隠れ汚職隠しの彼奴ら死ね

  夜ざくらへ徒党組みゆく愚かしや

 妻を詠んだ句も多いのだが甘くない。妻との距離を詠みつづけたのは、愛情の裏返しであろう。普段の夫婦関係ではなく、ちょっとした隙間を詠んでみたかったのだと思われる。武骨な夫像が浮かび上がる。

  妻抱いて躬の証したつ雁の夜

  沈丁の香まみれに寝て妻寄せず

  女薩摩とまがふ妻居て懐手

  亀鳴くにあらず妻泣く夜なりけり

  火恋し妻を邪険にしてをりぬ

 恋の句もどこまでが実体験なのか分からない。季語に触発されて浮かんだ恋物語を詠んだようにも思える。

  七変化咲くだまされてばかりかな

  鷽鳴くや男の嘘とをんなの嘘

  をだまきの花の濃ければ逢ふと決む

  マスクしてあたら美形を台なしに

 未灰は、さまざまな題材に挑戦し、どんなことでも俳句に詠んだ。特に注目したいのが虫などの動物を詠んだ句である。動物に人の生きざまを重ねて詠むのを得意とした。

  地虫は尻から子は頭から世に出しや

  いそぐ蟻なまける蟻とすれちがふ

  蛇穴を出づ二枚舌すでに吐き

  思惟仏の思惟さまたぐなかたつむり

  蝸牛の濡れあと光りらりるれろ

  天道虫だまし己れを欺し生く

 どの生き物も生き生きとして哀しく滑稽である。未灰は、不格好なものを不格好に詠むことで命を描こうとしたのではないだろうか。

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