小谷由果の「歌舞伎所縁俳句」【第6回】江戸歌舞伎の始祖の名を再興した十七世中村勘三郎の俳句

【第6回】
江戸歌舞伎の始祖の名を再興した十七世中村勘三郎の俳句

(2025年2月歌舞伎座「猿若祭二月大歌舞伎」)

先月、2月の歌舞伎座は「猿若祭」であった。

猿若祭は、初世猿若勘三郎が寛永元年(1624年)に芝居小屋「猿若座」の櫓を上げたことが江戸歌舞伎の始まりとされており、その江戸歌舞伎の歴史を振り返り、さらなる発展を願って行われる公演である。猿若祭は十七世中村勘三郎が昭和51年(1976年)に始めたもので、今年は歌舞伎座で6度目の開催である。

初世猿若勘三郎

初世猿若勘三郎は慶長3年(1598年)生まれ。出自は諸説あるが、『甲子夜話』には「生國尾州愛智郡中村(現在の名古屋市中村区)」と記されており、このことから、2017年5月に名古屋市中村区の中村公園に「初代中村勘三郎生誕記念像」が建立されている。

(初代中村勘三郎生誕記念像)

1624年に中橋南地(現在の京橋付近)に芝居小屋「猿若座」の櫓を上げたことが江戸歌舞伎の始まりとされており、その地には現在「江戸歌舞伎発祥之地」の碑が建っている。

(江戸歌舞伎発祥之地 猿若中村座之史跡)

「初代中村勘三郎生誕記念像」にも「江戸歌舞伎発祥之地」にも、現在の中村屋の定紋である「角切銀杏」が施されているが、初世勘三郎の頃の座紋は「丸に舞鶴」であった。1689年、徳川綱吉が長女に「鶴姫」と名付けたことから「鶴字法度」を出し、鶴の紋が使用禁止となったため、鶴が翼を拡げる様子に見立てた銀杏の葉の紋に定まったといわれる。角切銀杏を180度回転して上下逆さにしてみると、鶴が翼を拡げる様子に見える。

初世猿若勘三郎は「猿若舞」で大変な人気を得て、1651年には江戸城中で歌舞伎興行、1657年には京都で天皇の御前にて「猿若舞」を上演した。1651年に堺町(現在の日本橋人形町)に移転した際に、猿若座を中村座と改称し、名も中村勘三郎とした。1658年に没した後、初世の血筋は三世まで続き、以後は養子で繋いだ。

中村座はその後、1873年に十三代目勘三郎が負債を理由に座元を人手に渡し、1893年には火災で消失、そのまま廃座となった。中村勘三郎の名跡は、十三代目で途絶えて以降、名乗る者のいない預り名跡となっていた。

十七世中村勘三郎

十七世中村勘三郎は、1909年に三代目中村歌六の三男として生まれた。長兄は初代中村吉右衛門、次兄は三代目中村時蔵である。1916年11月、三代目中村米吉を襲名して初舞台。市村座で女方をつとめていた。1929年10月、四代目中村もしほを襲名。そして1950年1月、長らく途絶えていた中村勘三郎の名跡を再興し十七代目として襲名し、新たな屋号「中村屋」を興した。それまで、屋号は初代から十三代目までは柏屋、預十四代目から預十六代目は、預十四代目の三代目中村仲蔵の屋号をとって舞鶴屋としていた。

十七世中村勘三郎の俳句

十七世勘三郎は、長兄の初世中村吉右衛門とともに「ホトトギス」に投句をしていた。俳名は「舞鶴」。十七世勘三郎の俳句は、自伝『やっぱり役者』(1976年、文藝春秋)に数句掲載されている。

自伝『やっぱり役者』(1976年、文藝春秋)筆者蔵

夕立に支那寺で舞ふ道成寺

初孫はオチンチンなり菊日和

休日やお店の人の初袷

潮浴びに連れて行く子のヘルメット

トラックに乗せる祭の大太鼓

荒波の中に真赤な水着かな

草市で逢つた簑助夫婦かな

簑助のひげ生やしをり夏休み

つくばひに水なき夏の旅籠かな

ホタル籠吊つてくれたる宿屋かな

草いきれ立看板は吉右衛門

打掛をかけて昼寝の源之助

中庭に夏の月あり佐賀の宿

ふぐ食つて食道楽の終りとは

最後の句は、八代目坂東三津五郎への追悼句である。三津五郎も俳名「是好」を持ち、俳句を詠んでいた。(八代目三津五郎の俳句についてはまた別の機会に。)

勘三郎と浅草

中村座は、1841年に失火で全焼。天保の改革によって再建を禁じられ、堺町(現在の日本橋人形町)から浅草聖天町(現在の浅草6丁目)へ移ることを命じられた。1842年、浅草聖天町は、猿若勘三郎の名にちなんで猿若町と改名された。浅草には、勘三郎ゆかりの地がいくつかある。

浅草神社の境内にある被官稲荷神社には、十七世勘三郎が三代目中村米吉時代に奉納したお狐様がある。

十七世の子である十八世中村勘三郎(1955〜2012)は、江戸時代の芝居小屋の中村座を現代に復活させる「平成中村座」を2000年に立ち上げ、初演の地は浅草の隅田公園であった。隅田公園山谷堀広場には、「平成中村座発祥の地」の石碑が建っている。平成中村座公演は、初世勘三郎の出身地とされる名古屋市中村区でも行った。十八世亡き後も、子の六代目中村勘九郎が座主として平成中村座公演を行っている。

中村勘三郎の墓は、初世から十三世までは西瑞江の浄土宗大雲寺、十七世と十八世は浅草にほど近い竜泉の浄土真宗西徳寺にある。

(歌舞伎座外に貼り出された『きらら浮世伝』のポスター)

さて、先月の猿若祭では、中村屋が昼の部も夜の部も大活躍であった。

今年のNHK大河ドラマ「べらぼう」の歌舞伎版とも言える『きらら浮世伝』も、三遊亭圓朝の創作落語を元にした『人情噺文七元結』も、どちらも江戸が舞台であり、江戸歌舞伎の始祖猿若勘三郎にちなんだ「猿若祭」にぴったりの演目。中でも勘九郎は十八世勘三郎が乗りうつったように姿も声もそっくりで、それでいて勘九郎自身の心の入った芝居で、自然と涙が出た。口跡から江戸の空気を立ち上がらせるとともに、中村屋の魂の継承も感じさせた。

来年以降も、猿若祭が恒例になることを願う。

<参考文献>
自伝『やっぱり役者』(1976年、中村勘三郎著、文藝春秋)

小谷由果


【執筆者プロフィール】
小谷由果(こたに・ゆか)
1981年埼玉県生まれ。2018年第九回北斗賞準賞、2022年第六回円錐新鋭作品賞白桃賞受賞、同年第三回蒼海賞受賞。「蒼海」所属、俳人協会会員。歌舞伎句会を随時開催。

(Xアカウント)
小谷由果:https://x.com/cotaniyuca
歌舞伎句会:https://x.com/kabukikukai


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