30代は本当に大変なんだってば
:日下野由季 第2句集『馥郁』(ふらんす堂、2018年)
日下野由季(1977-)は、1997年に「海」入会。2007年には第一句集『祈りの天』を上梓しているので、この本が第二句集となる。収録されているのは、彼女の「30代」の作品に当たる。2007年から2017年までの292句を収めており、第42回俳人協会新人賞受賞作となった。
【30代にある二度の「厄年」】
30代はもっとも生活に変化のある時期だ。20代までは「仲間内」だけで生きることが許されても、しだいに世代を違える人間との付き合いも増えてくる。考え方の異なる人間と衝突することもあるだろうし、両親の老いを感じざるをえない時期でもある。自分の身体の変化もある。女性には二度にわたる「厄年」がある。
女性の本厄は、33歳と37歳である。
数え年でいえば、この作家の2009年と2013年がそれに当たる。
興味深いことに、二度目の本厄(2013年の作品)は、この句集のちょうど真ん中に収められている「Ⅲ」に当たる。32句が収められているのみの比較的短い章であるが、この章は明確にふたつに分けることができる。ひとつは、前半の日常詠、もうひとつは後半のイタリア詠である。
初笑ひ遅れて父の笑ひけり
母の雛追うて子の雛流れけり
前半の日常詠には、次のような二句を見つけることができる。いずれも親子の間のズレを詠んだものだが、その内容は対照的だ。
一句目は父のほうが遅れており、二句目は母が先を行っているというだけではない。一句目は「初笑」という生の充実ともいうべき寿ぎが主題になっているのに対し、二句目は「流し雛」という穢れを祓うという儀式が詠まれている。父母と生死がこのように反転しているのを、どう読み解けばよいのか。
【句集の蝶番としての「生前墓」】
そんなことは偶然にすぎないと一笑に付すというのが、正しい身ぶりなのかもしれない。
しかし、この句集を冒頭から読んでいくと、あるところまで父母の姿は作品世界のなかにまったく姿をあらわすことがない。初めて父母が姿を現すのは、「Ⅲ」の直前、以下の句である。
ちちははの生前墓や竜の玉
この句を「事実」として受け取るなら、両親が「生前墓」をつくった場所に、娘である自分も立ち会った、ということになるだろう。少なくとも作家の両親が、死期に想いを馳せながら生活をしていることがわかる。親の側が子供に面倒をかけまいとする「優しさ」もあったのかもしれない。
『馥郁』という句集を読んでいると、この「墓」の存在が、ちょうどこの句集の蝶番になっているように思われてくる。逆にいえば、作者はここから「ひとり」として生きていくことを課題として課されたように見えるのだ。「親元を離れよ」という親心だったのかもしれないし、あるいは子供の側からのアクションが先にあったのかもしれない。
【30代は「ひとり」であり「ひとりではない」時期】
とにもかくにも、30代を生きるというのは、自分が「ひとりであり」かつ「ひとりではない」ということを、日々考えながら生活することにほかならない。
話を戻すと、この句集の「Ⅲ」の後半では、何か過去と区切りをつけるような、新しい境地に踏み入れんとする作者の足取りや気分が感じられてくる。
香水のもう身に添はぬ香なりけり
秋草や羽根のかるさの旅切符
旅慣れて一人に慣れぬ星月夜
海渡り来てヴェネツィアの水の秋
露けさの一つ枕に銀貨置く
咲きそめて未知のひかりに花八手
不思議なことに、「生前墓」をきっかけとして、日下野由季の句はどこか寓意の籠もった写生句へと転じていくようだ。逆に言えば、「生前墓」以前の句には、どこか観念的な、言葉優先の句が多い。もちろん、そうした句のなかに印象的なものも少なくないが、まるでカプチーノの泡のように、「つかみどころのなさ」という淡い感覚のなかで迷子になってしまったかのような印象さえ受けるのも事実なのだ。そのように感じるのは、たとえば次のような句だ。
あらたなる風てのひらの空蝉に
風を聴くかたちとなりて薄氷
虹を見しことをはるかに人に告ぐ
花野ゆく会ひたき人のあるごとく
ほんたうのこと見えてくる蝌蚪の水
花筏水のひかりに崩れけり
まほろばの風はるかより更衣
美しく、はかない言葉が並んでいる。大木あまりは、句集の栞の末尾で、「どのページをめぐっても、透明な句に出会うことができる」と書いているが、この〈透明感〉はこのような言葉から生まれてくるものだ。
【「透明感のある句」からすこし離れて】
風や光という素材が「かたち」として抽象化され、あるいは「ごとく」として比喩に転じ、あるいは「あらたなる」ものに更新されていく。「はるか」や「ほんたうのこと」というのは抽象化の技術にほかならず、作品世界はまるで眩しい太陽の光に、世界が白んでいくような、そんな感じを受ける。
それは、作者が愛するイタリアの海の眩しさに近いのかもしれない。
だからこそ、「生前墓」はやはり句集のなかで異質であり、異物のように感じられるのだ。この石の存在だけは、「透明感」に回収することは、どうしてもできない。それは「死」という即物的な、肉体的な、そして不可避の現象が、眩しい世界のなかに飛び込んできた、ということを意味している。
イタリア詠以後にも「未知のひかり」という観念性は残ってはいるのだが、しかし、どこか自分の肉体を見つめるような冷徹な視線が、濃くなっていくようにも思われるのだ。
【女性の身体性という隠された主題】
女性の厄年、というのはこういうことなのかもしれない。
以前、作家の川上未映子が対談のなかで、こうした女性の身体性を語っているのを読んで、わかったつもりではいたけれど、確かにそうだと思ったのだった。10代で初潮を迎えてから閉経まで、女性の身体は変化しつづける。身体と「ともに」生きるというほかの選択肢は、基本的にはない。女性は究極的に、孤独なのではないか、と女性になれない男性である私は思う。
一方で、健常な男性は「身体」を外付けHDDのようなものだと思っている。雑誌『Tarzan』が電車の中吊り広告で煽るように、筋トレをすれば理想の身体を手に入れられると思い込んでいるし、歴史や政治というロマンに心酔するのも、そこに身体が介在していないからだろう。そうした感覚からは「透明感」のある言葉は発せられることがない。
だからある意味では、日下野由季の発する「透明」な言葉の数々は、何よりもまず、自身の孤独を癒すために発せられているのだ、といってもいい。
【老いゆく父母と、あたらしいいのちと】
ところで、この句集の「結末」において、この作家は「生涯の伴侶」を見つけ、そして彼とのあいだに娘を身ごもることになる。まるで、イタリア詠のなかの〈水澄むや受胎告知のしづけさに〉が、それを暗示していたかのようだ。みずからを聖母マリアに喩えているわけではあるまいが、しかし意味の上からいえば、〈処女性〉を自己イメージのなかに取り込んでいるということになる。
桜満開父がゐて母がゐて
そのように生活に大きな変化があった「Ⅳ」では、このような句が詠まれている。これを小学校の授業で使えば、「桜が満開であるという情景が、大好きな両親といることと重ね合わせられている」というのが正解になるのだろうが、もちろんそんな読みでは0点である。
桜は満開になりながら、散りはじめる。父母とはいずれ別れが待っている。そもそも子と親というのはしばしば敵対しあい、円満であることのほうが例外的であるものだ。だが、30代という年齢になり、父母が「生前墓」を作った。そうしたすべてのことをひっくるめて、一緒に見ている「満開の桜」なのである。親子の間の沈黙、そのあいだも桜は舞いつづけているだろう。
【おまけ:2015年のパリ詠から俳人協会新人賞受賞まで】
蛇足になるが、「Ⅴ」に収められた2015年のパリ詠は、現地に留学中だった私のことを思い出してくれた由季さんが、私に声をかけてくれて、パリの俳句仲間といっしょに、二日間、四回にわたる吟行会を催したときの句である。
評論をするときに私情は交えないというのが、いちおう私のスタンスなのだが、今回だけはちょっぴり例外。そういえば、あのときも一緒に来仏されていたご両親とは別行動で、吟行会にお付き合いいただいたのであった。
道幅に鉄路の名残り蔦茂る
花茨セーヌにひらく窓いくつ
涼しさやモスクの壁に無数の星
みな無口なる無花果の木下闇
とくに感慨深いのは、グラン・モスケの中を見学したあと(3句目)、併設のカフェでミントティーを飲みながら句作をし(4句目)、そのあとは自然史博物館内の庭でピクニックをしたことである。セーヌ川クルーズをしたこと(2句目)も楽しかったし、廃線跡が遊歩道となったプロムナード・プランテを歩いた夏の日のこと(1句目)もなつかしい。
そのようなご縁のある日下野由季さんと、同じタイミングで俳人協会新人賞を受賞できたことは、恐縮な思いもありながら、やはり句友として嬉しい。私は2歳の娘と、由季さんは11か月の娘さんと俳人協会の受賞式に出席できたのもいい思い出となった。授賞式と前後して彼女は、連載で拙句集のことを取り上げてくださり、こんなふうに書いてくれた。
堀切さんとは、同世代の俳句作家として交流があり、留学していた彼を訪ねてパリに行き、現地の人たちと吟行句会をひらいてもらったことがある。その時に詠んだ句が、ともに句集に収まっていると思うと、不思議な縁を感じる。それだけでなく、堀切さんも私も結婚における私生活の変化が、句集の大きな核になっているところも似ている。(……)男性の子育て俳句は、女性に比べてまだ圧倒的に少ない。堀切さんからさらなる魅力的な吾子俳句が生まれることを楽しみに、エールを送りたい。
(「赤旗」2019年2月27日、文化面・俳壇「舟のかたち」)
こうして「同世代の俳句作家」として認めてくださっているところに、本当に頭が下がるばかりだが、本稿をもって私から由季さんへの「エール」とさせていただきたい。素敵な40代を送ってほしいと思う。
【執筆者プロフィール】
堀切克洋(ほりきり・かつひろ)
1983年生まれ。「銀漢」同人。第一句集『尺蠖の道』にて、第42回俳人協会新人賞。第21回山本健吉評論賞。