聞えない耳なら石榴ぶらさげよ 金原まさ子【季語=石榴(秋)】


聞えない耳なら石榴ぶらさげよ

金原まさ子 


今年6月に亡くなった後藤比奈夫さんは、103歳で天寿を全うされたが、金原まさ子さんが亡くなったときの年齢は、106歳だった。ご逝去は、2017年6月のことだ。

それはちょうど、小津夜景さんが『フラワーズ・カンフー』で田中裕明賞を受賞し、四ッ谷のイタリアン・バーでパーティが開かれる直前のことで、その会場にはお亡くなりになった金原さんからのお祝いの花束が届いたのだった。

死者が贈る花束、というのは、なんとなく金原さんらしい気がする。

100歳を迎えた2011年(明治44年生まれなのである!)には「金原まさ子百歳からのブログ」をはじめ、2013年ににエッセイ集『あら、もう102歳』を出版。

2013年9月16日、敬老の日にちなんでテレビ朝日『徹子の部屋』にゲスト出演。自身の半生や自由な心境を語った。2014年、句集『カルナヴァル』で第69回現代俳句協会賞特別賞を受賞。

比奈夫が2017年の角川「俳句」に発表した新年詠、〈あらたまの年ハイにしてシャイにして〉もそうなのだが、金原まさ子の「晩年」の仕事を見ても、言葉には年齢があるのか、という疑問が浮かぶ。

おそらく、言葉には年齢がない。もしあるとすれば、それは言葉を使う人間の頭のほうが、老いてしまったにすぎない。

100歳を超えてもなおクリエイティヴでいられること、言い方をかえれば、「世界とはこういうものだ」という結論をいちどまっさらにして、あたらしい世界像を提案することはできる。

もちろん、金原まさ子には「老いをグロテスクに描く」という美学が認められるが、そのグロテスクさは、つねに新しかった。よく知られている〈エスカルゴ三匹食べて三匹嘔く〉が、到達点などではない。

100歳でブログをはじめたというのは、「今日」という一日を「昨日」の呪縛から断ち切って、個別の「今日」を記録するためだったのだろう。

逆にいえば、「老いる」というのは、「今日は昨日と同じであり、明日は今日と同じ日がやってくる」と信じ込むことであり、それは言葉のクリエイティヴな側面に目をつぶり、誰のものでもないはずの言葉を「横領」してしまうことだ。

横領された言葉を奪還すること。

破壊と創作を繰り返すこと。

それが、俳句の目的のひとつである。

間違っても、掲句が示すのは「ザクロのようなかたちをしたイヤリング」などではない。作者は、本物の石榴でもつけておけ、と吐き捨てるように言っているのだ。もっとも、それは耳が遠くなったことを感じる自分自身に対して、だったのかもしれないが。

耳は音を聴くためにあるのであり、もし音が聴こえないならば、耳をわざわざつけておく必要がない。しかし現実には、肉体的老化にあらがうことはできない。耳は遠くなるものなのだ。

だからせめても、と思って作者は「石榴ぶらさげよ」と命じる。

林檎では押しが弱い。蜜柑ではかわいすぎる。南瓜では大きすぎる。噴火口をもった、色鮮やかな石榴、まだ熟れてはいないが、いつかは割られる運命にある石榴が、100歳の耳を飾るにはちょうどいいだろう。華やかであり、エキゾチックでもある。

老いた耳は、石榴の重さでひきちぎれてしまうかもしれないが、それもまた一興だろう。なにせ、もともと使いものにならない耳なのだ。そのときに顳顬を流れる血の色は、地面に落ちてルビー色の小さな実をあらわにした石榴と、混ざり合うだろう。そんなグロテスクさが、私の脳裏には浮かぶ。

というわけで、本日9月21日は、敬老の日。

よい一日をお過ごしください。(堀切克洋)

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