落栗やなにかと言へばすぐ谺 芝不器男【季語=落栗(秋)】

落栗やなにかと言へばすぐ谺

芝不器男

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 俳句を始めたての頃、好んで芝不器男を読んだ。句集から特に気に入った句をノートに書き写したりした。春夏秋冬、それぞれの季節にそれぞれよい句があり、読んでいて飽きなかった。ある俳句大会に参加したときには、〈永き日の猫がするりと柵抜ける〉という句を詠んで、知り合いの方に「芝不器男の〈永き日のにはとり柵を超えにけり〉みたい」と言われた。愛読していたため、気が付かないうちに影響を受けてしまったのだ。言われてみて、はっとした。何だか、恥ずかしい気持ちになったのをよく覚えている。

 不器男の句は、比較的平易な言葉で詠まれているのに、どの句も印象が鮮明で意外と隙がない。だからか、不器男に関する本を読み、ものすごく推敲を重ねたと知り、とても納得した。一字一句にこだわるからだろうか、どの句もピントのあった写真のようだ。一瞬を上手く捉えており、そこだけに永続する時間が流れている。余分なことは言わないというストイックさとも違い、純度が非常に高い。

 たとえば、〈向日葵の蕊を見るとき海消えし〉は、視線の在り方を細やかに描写しているが、〈白百合に海の青さの消えしかな〉〈白百合に瞳うつりて海消える〉などの推敲を何度も行ったそうだ(『不器男百句』内田美紗氏執筆分参照)。あの有名な〈あなたなる夜雨の葛のあなたかな〉も推敲の果てに得た一句であることはよく知られている。ただ、不器男の何度も言葉を変えてぴったりのものが出てくるまで待つ姿勢には、言葉への執着というより、完全に自分の思い描いたイメージを再現したいというナイーブな文学青年の姿が思われる。

 このようなことを思ったのは、掲出句〈落栗やなにかと言えばすぐ谺〉にも同じような無駄のない、けれど研ぎ澄まされたとは異なる、あたたかみのある世界を感じたからだ。この句も数多くの推敲のあとに生まれたのだろうか。素朴な疑問が頭に浮かぶ。

 〈なにかと言へばすぐ谺〉については、村上鞆彦氏が『芝不器男の百句』の中で「不思議と舌に引っかかるところがない精妙な表現」と述べている。栗の実については、『不器男百句』の執筆担当分の中で塩見恵介氏が「内向的な青春期の作者の心を象徴」と述べている。

 わたし自身も、この句の中7・下5の表現と作者の心の機微に特に心ひかれる。〈なにかを言へば〉だったら、ぐっと平凡な句になってしまっただろう。〈なにかと〉にすることで、何でも谺になってしまうことへの本当にちょっとした苛立ちのようなものが感じられる。それは、谺に対するものというより、自分ではどうにもならないことを目の前にした青春期の心情から来るもののようだ。

 が、それと同時に、いやそれ以上に、自然に体を預けていることからくる解放感が感じられるところがわたしは好きだ。焦りを感じながらも、山々の中でその焦りを客観視できている。「落栗」のように心を閉ざした作者を大らかな谺が包み込んでいる、そのような景が目に浮かぶ。今読んでも青春性のあるとてもよい句だと思う。

参考文献
坪内稔典・谷さやん編、『不器男百句』創風社出版、2006年
村上鞆彦著、『芝不器男の百句』ふらんす堂、2018年

(遠藤容代)


【執筆者プロフィール】
遠藤 容代 (えんどう ひろよ)
1986年生まれ。「聲」・「天為」所属。句集に『明日の鞄』(ふらんす堂、2025年)


◆第一句集
冬泉野生の馬も来るといふ

自由でのびやかな把握とやわらかな言葉使いが挙げられよう。(序より・日原 傳)

◆自選十句
何を見る必要ありや鯨の目
二階には店員の来ぬ日永なり
減つてゆく蝌蚪に別れのとき近し
春惜しむすぐに大きくなる熊と
ほうたるの百葉箱のまはりにも
山に来て山の話や星月夜
大柄なひとのさしたる秋日傘
復元の書斎から雪よく見ゆる
耳飾り揺らして上がり絵双六
冬の浜拾へば大切な貝に



【2025年9月のハイクノミカタ】
〔9月1日〕霧まとひをりぬ男も泣きやすし 清水径子
〔9月2日〕冷蔵庫どうし相撲をとりなさい 石田柊馬
〔9月3日〕葛の葉を黙読の目が追ひかける 鴇田智哉
〔9月4日〕職捨つる九月の海が股の下 黒岩徳将
〔9月5日〕ありのみの一糸まとはぬ甘さかな 松村史基
〔9月6日〕コスモスの風ぐせつけしまま生けて 和田華凛
〔9月7日〕秋や秋や晴れて出ているぼく恐い 平田修
〔9月8日〕戀の數ほど新米を零しけり 島田牙城
〔9月9日〕たましいも母の背鰭も簾越し 石部明
〔9月10日〕よそ行きをまだ脱がずゐる星月夜 西山ゆりこ
〔9月11日〕手をあげて此世の友は来りけり 三橋敏雄
〔9月12日〕目の合へば笑み返しけり秋の蛇 笹尾清一路
〔9月13日〕赤富士のやがて人語を許しけり 鈴木貞雄
〔9月14日〕星が生まれる魚が生まれるはやさかな 大石雄介
〔9月15日〕おやすみ
〔9月16日〕星のかわりに巡ってくれる 暮田真名

【2025年8月のハイクノミカタ】
〔8月1日〕苺まづ口にしショートケーキかな 高濱年尾
〔8月2日〕どうどうと山雨が嬲る山紫陽花 長谷川かな女
〔8月3日〕我が霜におどろきながら四十九へ 平田修
〔8月4日〕熱砂駆け行くは恋する者ならん 三好曲
〔8月5日〕筆先の紫紺の果ての夜光虫 有瀬こうこ
〔8月6日〕思ひ出も金魚の水も蒼を帯びぬ 中村草田男
〔8月7日〕広島や卵食ふ時口ひらく 西東三鬼
〔8月8日〕汗の人ギユーツと眼つむりけり 京極杞陽
〔8月9日〕やはらかき土に出くはす螇蚸かな 遠藤容代
〔8月10日〕無職快晴のトンボ今日どこへ行こう 平田修
〔8月11日〕天上の恋をうらやみ星祭 高橋淡路女
〔8月12日〕離職者が荷をまとめたる夜の秋 川原風人
〔8月13日〕ここ迄来てしまつて急な手紙書いてゐる 尾崎放哉
〔8月14日〕涼しき灯すゞしけれども哀しき灯 久保田万太郎
〔8月15日〕冷汗もかき本当の汗もかく 後藤立夫
〔8月16日〕おやすみ
〔8月17日〕ここを梅とし淵の淵にて晴れている 平田修
〔8月18日〕嘘も厭さよならも厭ひぐらしも 坊城俊樹
〔8月19日〕修道女の眼鏡ぎんぶち蔦かづら 木内縉太
〔8月20日〕涼新た昨日の傘を返しにゆく 津川絵理子
〔8月21日〕楡も墓も想像されて戦ぎけり 澤好摩
〔8月22日〕ここも又好きな景色に秋の海 稲畑汀子
〔8月23日〕山よりの日は金色に今年米 成田千空
〔8月24日〕天に地に鶺鴒の尾の触れずあり 本間まどか
〔8月26日〕天高し吹いてをるともをらぬとも 若杉朋哉
〔8月27日〕桃食うて煙草を喫うて一人旅 星野立子
〔8月28日〕足浸す流れかなかなまたかなかな ふけとしこ
〔8月29日〕優曇華や昨日の如き熱の中 石田波郷
〔8月29日〕ゆく春や心に秘めて育つもの 松尾いはほ
〔8月30日〕【林檎の本#4】『 言の葉配色辞典』 (インプレス刊、2024年)

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