管は胃へ母乳を届け涅槃雪 山本たくみ【季語=涅槃雪(春)】

管は胃へ母乳を届け涅槃雪

山本たくみ

最も古い記憶はいつのことだろう。座卓を掴みながらよちよち歩いては褒められたこと、食の記憶ではお芋のおやつを食べたことなどが朧気ながらに残っている。しかし記憶に残るそれ以前、誕生後の最も小さい存在であるときはみな母乳やミルクにより命を繋いできた。掲句は赤ちゃんの鼻や口から入れた管を通して、胃に直接母乳を注入する処置の様子。

早産など様々な理由でまだ自力で栄養を摂取できない赤ちゃんの命を繋いでいるNICUでの景だろうか。

小さな命を医師・看護師の総力を以て生かそうとする張り詰めた雰囲気に対し、患者と向き合う医師の処置の手は素早くも優しい。ピンセットで摘まむほど細い管を取り痛みを感じさせぬよう鼻から通せば、小さな胃は温かい母乳で満たされる。まだ保育器の中にいる赤ちゃんにも母親の体温はきっと伝わっているはず。

目の前の命と向き合うので精一杯なこの部屋では誰も気付かないが、窓の外は涅槃雪が降み始めた。まだ雪が降るほどの寒さはあるが、雲は薄く確実に春へと向かっている。

降り納めの清浄な雪は生まれたての無垢な命を祝福する花のようでもあり、無事を祈る両親に大丈夫だよと明るい未来を思わせる天啓のようでもあった。

(俳句同人誌「天秤」第3号より)

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今回ご紹介した句の季語は「涅槃雪(晩春)」で春を迎えて降り納めの雪のこと。

少し季節の先取をした句となりますが、最終回ということでわがままをお許しください。

さて、これまで美味しそうな句をレシピと共にご紹介してきました。寒いときにホッとする飲み物やちょっとしたご馳走、お酒やいつものごはん。読者の皆さんも大好物やもう一度食べたい思い出の味があると思います。それは育った地域や家庭、そして第一に個人の嗜好により千差万別。日々の食卓も自炊や外食、デリバリーなど様々な選択肢がありますが、人間が生まれてまず口にする食物は母乳やミルク。どんな環境であってもこれだけはみんな同じ。句会を離れ、社会生活を営む上ではこのやろ~!と腹が立つことや理不尽な瞬間、どうしても相容れないひとの存在はあります。しかしそういった相手にも掲句のように食物を与えられ愛され守られてきた過去や家族があると思うと、どこか憎みきれないことに気付かされるのです。

誰しも最初は上手に飲めずに戻してしまったり、時には掲句のように医療の力で直接胃に送られたりと、生きる上で欠かせない食事の方法さえ模索していた時期があったはず。そこから乳離れをして好きな味を見つけ、時に苦手な味と戦っては克服して気付けば大きくなっていたと思うと少し不思議な気持ちになりますね。

また母乳を飲んでいる原初の食事の目的は第一に生きるためのこと。しかし大人になるにつれて食事は味や彩り、季節の移ろいや食卓の景など楽しむことも目的に加わってきます。また時には自身以外へ食事を作り、人を生かして楽しませることもできるのです。

生命維持のためのエサを楽しみの要素も加えた食事へ、原始的な鳴き声を言語へそして詩へと昇華させていった人間とはかくも面白き生き物よ!と思う晩冬の昼下がり。誰目線やねんという突っ込みが来そうなところでこの記事を〆させていただきます。

皆さんが今後も美味しい食卓を囲むことができますように!

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これにて二か月間の連載を終了させていただきます。お付き合いくださりありがとうございました!

まだまだ世界中には未知の味があり、食いしん坊な私の「いつか食べたいものリスト」は日々更新を続けています。いつかご一緒する機会があったら皆さんの美味しいもののお話もぜひ聞かせてくださいね。それではまたいつかお会いしましょう!

佐野瑞季


【執筆者プロフィール】
佐野瑞季(さの・みずき)
1997年静岡県生まれ
雲の峰」所属 超結社句会「四季の料理帖」代表
第17回鬼貫青春俳句大賞
夢はかまくらの中でお餅を焼くこと
・E-mail:kigotabekukai@gmail.com
・X @Sano_575
・Instagram @sano_575
・四季の料理帖X @kigotabe
・四季の料理帖Instagram @shikinoryoricho



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