あるひとつの時代の報告
――伊藤伊那男 第三句集『然々と』(北辰社、2018年)
伊藤伊那男は、神保町の交差点の一本裏で「銀漢亭」という酒場を切り盛りしている。脱サラして16年。信州・伊那谷の生い立ちから、バブル経済に翻弄されたサラリーマン稼業を経て、この店を開業するまでの一部始終は、『銀漢亭こぼれ噺』に活写されている。ちなみに「銀漢」とは、天の川のこと。秋の季語でもある。伊那男は、1949年7月7日、つまり七夕生まれであり、第22回俳人協会新人賞を獲った第一句集も『銀漢』というタイトルだった。
第二句集『知命なほ』は、2009年7月7日に刊行されている。この句集の末尾には、〈妻と会ふためのまなぶた日向ぼこ〉〈かの日より香水減らず妻の部屋〉など、妻恋の句が収められている。伊那男自身、40代で大腸癌に罹患しているのだが、治癒したのちに今度は奥方が、癌を患ってしまったのである。「銀漢」という言葉は、早すぎる妻の死を経て、自身の「劇的」な人生を(織姫と彦星の神話へと)仮託するものともなっている。
伊那男はつねづね、句集は「人生の決算報告書」のようなものであると口にしている。元証券マンらしい喩えであるが、つまりはこういうことだ。句集には作者名がついてまわる。句会でいかに評判がよくても、作者名を伴って、一冊としてまとめあげたときに、その句が生きているかどうかが問われる。逆にいえば、「句集を読む」とは、その作者の「人生を読む」ということである。したがって、「読むに値する句集」とは、「読むに値する人生」ということになる。
では、「読むに値する人生」とは何か。それはひとつではないし、そんな問いに答える紙幅はない。しかし、この句集が「読むに値する」のは、以下のいくつかの特徴がうまく絡み合っていることによる。まず一つ目として挙げられるのは、「嫌味のない自嘲」である。
春火鉢あればあつたで手をかざす
衣更へて四肢のいかにも頼りなし
黴くさし男やもめとなりてより
ボーナスを自分に出してみて淋し
一句目、まずは(火鉢かどうかは別として)誰にでも似たような経験があることだろう。「あればあつたで」という口語的な軽さが、つい流されてしまう作者の移り気さを演出している。二句目は逆に「いかにも」という大仰な表現がかえって自身の弱々しさを強調していておかしい。三句目は、男臭いのではなく「黴くさい」とまで自分を貶めたのが手柄(?)。四句目は、私が俳句で始めた頃にご一緒した「銀漢亭」での(昼間から酒を飲みながらの)句会の席題句。さらりとこんな句ができてしまうのである。ちなみに、銀漢亭のことは岸本葉子さんのエッセイにも登場する。
これらの句は、作者の自嘲的な生き方そのものの反映であり、当人からすれば、「そのまま」(=俳句にするために多少手を加えて)詠んでいるにすぎない。しかし、決算報告は、つい「いい数字」を見せたくなるもの。こんなふうに「悪い数字」をさらけ出すことができる会社は、正直ものである。粉飾などまったくないのだから、信頼できる。同様の句に〈一礼に水筒ごぼと山開〉〈鱈割いて貪婪の腹さらけ出す〉〈夜神楽の前座ながなが寝てしまふ〉〈これも縫初独り居の釦かがる〉〈草矢打つ還暦にして反抗期〉〈熱血といへど焼芋ほどのもの〉〈大試験放屁こらへしまま終はる〉などがある。
第二の特徴は、「歴史・物語的なドラマ性」である。
長崎に降り立つすでに絵踏めき
赤き糸もつれしままに針供養
マッチ一本迎火として妻に擦る
京の路地ひとつ魔界へ夕薄暑
第一の特徴が「自分の生き方」と密接につながっているとしたら、こちらはもう少し客観的である。「めく」「として」(あるいは「とも」「かと」「似て」「ならむ」)という助辞は、いわば「見立て」ということになろうが、しかしここにも作者の生き方が滲み出ているのは、第一のような句群があってこそ。一句目、「絵踏めく」の面白さは、何も悪いことはしていないが、なんだかびくびくしてしまう……という性根の弱さを「長崎に降り立つ」と巨視的につかみとったことで、やましいことを抱えて生きているすべての読者のための句となっている。
二句目は「赤き糸」。色恋沙汰は、いつの世も一筋ではいかぬ。そう考える読者は、ここでもにやりとさせられる。三句目はひるがえって、情の濃い句である。「マッチ一本…」とくれば、「火事のもと」なのだが、この格言と同様に、一本の小さな火だからこそ、妻への思いの強さがかえって強調される。四句目にもやはり地名が入っているが、「京」という場所設定、「魔界へ」という措辞、そして夏の夕方という時間設定が揺るがない。
ともすれば、「めく」「として」に季語を添えると、単なる想像句になりがちなところだが、背後にある強固な現実と人間性がそれにブレーキをかけている。同様の句に〈色見本とも色鳥のつぎつぎに〉〈秋風や他郷めきたる常の路地〉〈溜息に似て蘭鋳に泡ひとつ〉〈発掘のやうにも見えて冬耕す〉〈忿怒とも慈悲とも焚火百態に〉〈佐保姫の吐息の紡ぐ雲ならむ〉〈みすずかる信濃は大き蛍籠〉など。
さて、第三の特徴は、「写生に基づいた機知」である。あるいは逆に、機知に基づいた写生なのだろうか。ともあれ周知のように、明治に入って写生を提唱した正岡子規は、とんちのような月並句を嫌ったわけで、写生を口々に言う俳句には、俳諧味が抜け落ちてしまうということが、いまでも多くある。伊那男俳句は、そうした意味では「近代の超克」であろうとしている。
一歩とはすなはち百歩百足虫這ふ
短夜と聞き短世のことかとも
露の世とつぶやいてみて露の中
羽抜鶏はばたいてまた羽減らす
これらの機知句では、多くの場合、字面の上での「類似/対比」の関係が明々白々である。とくに「百」という語の繰り返しは、同句集のなかに〈百物語百の鳥肌立てて聞く〉があるし、収められていないところでは、〈百日紅樹下百日を掃きとほす〉がある。
こうした機知句は(あまり好みではないと言う読み手もいるかもしれないが)、あまりに厖大な数の句を消化していくなかで、読み手としても書き手としても、記憶に残すためのひとつの方法であるだろう。二句目は「みじかよ」、三句目は「露の」、四句目は「羽」のリフレインがあるが、意味的な類似・対比関係にとどまらず、結果的に頭韻(語頭が同じ音になること)を招いていることにも注目しておきたい。三句目は五七五のすべてがツ音であり、四句目はハ音(バ音)なのである。
つまり、写生と機知が共存可能であることに加えて、愛唱に足りうるリズムのよさが伊那男俳句の特徴となっているのだ。同様の句には、〈よしと言ひあしと言ひ皆末枯るる〉〈三つ指の礼に三つ指事始〉〈壺焼の壺を廻して抜き出せり〉などがある。
さて、ここまで三つの特徴として「嫌味のない自嘲」「歴史・物語的なドラマ性」「写生に基づいた機知/機知に基づいた写生(とそれに伴うリズムの良さ)」を見てきたが、そのうえで、以下のような句が『然々と』で最も注目すべき句であると私は信じている。三つのいずれかに分類できそうなものも含まれているし、複数にまたがるような句もなかにはある。
亀鳴くと師が言へば皆諾へり
股引をもう見られてもよき齢
看取らるるかも知れぬ此の蒲団干す
動かせば火鉢に爺がついてくる
鳴りづめの風鈴の舌すこし切る
本堂に寝る子跳ねる子仏生会
重箱を開け月かげを溢れしむ
湯たんぽの慈母のごときを足蹴にす
伊藤伊那男は、言葉を躍動させるのが巧みな作家である。十七音という限られた空間のなかで、真新しい言葉を使っていないにもかかわらず、多くの場合には「諧謔」を、ときには「情」を、ときにはその両方を読み手に届けるための言葉探しが上手い。初学の頃から養ってきた「写生」の眼を大事にしながらも、昭和・平成を生きた人間(男性)の姿を滲ませることに成功し、一冊の句集は作者個人の「決算報告書」であることを超えて、あるひとつの時代の報告書となっているようにも思えてくる。
【執筆者プロフィール】
堀切克洋(ほりきり・かつひろ)
1983年生まれ。「銀漢」同人。第一句集『尺蠖の道』にて、第42回俳人協会新人賞。第21回山本健吉評論賞。