【連載】ハイクノスガタ【第6回】歳時記のデザイン〈文庫編〉(佐藤りえ)

昭和八年、改造社からエポックメーキングな「俳諧歳時記」全五巻が刊行されます。曖昧だった制作体制を刷新、編集に代表的な結社の主宰と学者を招き、季題解説、実作注意、古書校注を徹底、植物や動物の記述についても専門家(牧野富太郎、寺尾新など)の意見をあおぎ、国語辞典のごとき詳細な歳時記が誕生しました。

「俳諧歳時記」山本俊太編(改造社)昭和12年 第二版 例句出典も完備

この時制作に参加した高浜虚子と改造社との間で歳時記編纂をめぐって異論があったようで、虚子はこの翌年独自の「新歳時記」を三省堂から発行します。「新歳時記」はのちに改訂がほどこされ版を重ね、現在も入手可能(!)。ウチにも改訂版がありますが、本体が105mm×160mmほどと文庫をちょっとだけ伸ばしたハンディなサイズです。しかも1冊で全季(1月から12月まで)の季語が網羅されています。四六判程度の改造社本(五分冊)に比べると、いかにも軽快です。春夏秋冬の四季立てでなく月別なのも大きな違い。

「虚子編新歳時記 増訂版」(三省堂)昭和26年 天文・地理などの分類なく、時節の推移順に並ぶのも特徴

平凡社の「俳句歳時記」新年(昭和34年/1959年)収録「歳時記解題」(井本農一)には明治以前からの季寄・歳時記類がずらりと列挙されているのですが、昭和元年からの十年間だけでも歳時記とそれに類する表現辞典30冊余りの書名があります。明治以降は主要なもののみ採集、とのことですから、歳時記バブルといっていいのか、夥しい数の歳時記が世に出ていたことがわかります。

 そんな状況下、文庫―出版社が普及を目的として安価に同じフォーマットで作ったシリーズのこと―の歳時記の嚆矢として登場したのは新潮文庫「俳諧歳時記」(昭和25年)でした。

新潮文庫「俳諧歳時記」(冬・新年)昭和25年

 「春」「夏」「秋」「冬・新年」の四分冊で、編者は新潮社となっていますが村山古郷が全冊に解説を寄せています。主季題がゴシック見出し、いわゆる傍題は季題の左に並び、題の下部に解説、次行から三字下げで例句が並びます。すっきりとしたレイアウトです。季語の類別に関して、「雪」は天文の部類に入りますが「雪吊」は人事、その場合「雪」に隣接して「雪吊」を並べ、○囲みの「人」で人事でもあるよ、と示す工夫がなされています。

 昭和30年には角川文庫「俳句歳時記」が登場。冬と新年を分けた五季五分冊のほか、翌年にはすべてを収めた合本が作られます。制作に当たったのは秋元不死男・原田種茅・志摩芳次郎。新潮文庫からの大きな変化として、傍題を主要な題の下に小さく列挙、例句が二段組みにされました。このフォーマットは現在も続いています。

新版俳句歳時記 春の部(角川文庫)昭和47年

文春文庫からは昭和52年、山本健吉編「最新俳句歳時記」が発行されました。四季別の分冊のなかで季がさらに初・仲・晩に分けられているのが山本健吉らしさ。季の見出しにイラストがあしらわれています。

最新俳句歳時記 春 山本健吉編(文春文庫)昭和52年

平成に入ってからは河出文庫「新歳時記」(平井照敏編)平成元年、講談社文庫「俳句歳時記」(水原秋桜子編)平成六年といった刊行物がありました。河出文庫版は各語の解説末尾に「本意」項目を設けているのが特色。講談社文庫版は一巻函入りでまさかの横綴じ本です。文庫版だけど横長。講談社文庫で他にこのフォーマットの本はあるのだろうか。

「俳句歳時記」水原秋桜子編(講談社文庫)カバーなし函入り、850ページほど。厚い!

 講談社文庫「俳句歳時記」は「新編俳句歳時記」(大泉書店)の改訂版(1957年)を元本としています。秋桜子は生涯に何度か大部の歳時記を編んでいますが、ここでは特に解説と例句が密接で、語りつつ句を紹介していく、このスタイルはあまり類を見ないものです。

「俳句歳時記」水原秋桜子編(講談社文庫)春の部。自由な解説

平成八年、ハルキ文庫の創刊時にラインナップされたのが「現代俳句歳時記」(角川春樹編)です。「現代」と銘打つ唯一の文庫歳時記ですが、例句には芭蕉・蕪村・丈草・一茶といった近世俳句も取り上げられています。レイアウトは角川・河出などとほとんど一緒ながら、例句のほうが太字でやけに存在感がある。そして例句が多い。20句以上並ぶこともあります。ちなみに、最初に「現代」を冠した歳時記を拵えたのは石田波郷編の「現代俳句歳時記」番町書房(昭和38年)あたりのようです。

 ほかにも「写真俳句歳時記」(現代教養文庫)昭和37年、「野鳥歳時記」(角川文庫のち冨山房百科文庫)昭和37年、「花の歳時記」(現代教養文庫)昭和39年、「山の俳句歳時記」 (現代教養文庫) 昭和50年、「吟行版季寄せ草木花」(朝日新聞社)昭和56年、新書ですがカッパライブラリー「俳句歳時記 オールシーズン版」(光文社)平成3年など、個性的な文庫版歳時記、季寄せが作られていましたが、そのほとんどが姿を消してしまいました。現在書店で新刊で手に入る文庫版歳時記は角川文庫から移行した角川ソフィア文庫の五分冊「俳句歳時記」とその合本、1000の主要季語にしぼった角川文庫「今はじめる人のための俳句歳時記」、俳句文学館編纂の「ハンディ版入門歳時記」、草思社文庫「俳句発想法歳時記」ぐらいでしょうか。実質改訂を重ねているのは角川ソフィア文庫のみのようです。

 図書設計という意味では、判型の制約もあり、全体的な構成は似通っています。その登場の初めから見出し季題がゴシックだったのは少々意外でしたが、ページあたりの文字数を考えると、目立つ仕組みは必須といえます。見出し語のルビの扱いについては、なし→下に別掲→通常のルビ(右横)といった推移が見えます。目次の見出し語に総ルビ、なんてパターンも。秋桜子編の講談社文庫は例外として、季ごとの四〜五分冊で一冊当たりのページ数は300〜500、巻末には目次とは別によみがな順の索引があり、こちらには傍題も含まれています。よくよく考えると辞書より手厚い仕組みです。

 解説は長短いろいろありますが、語意の歴史を伝えるものから、現状をうつす内容にゆるやかにシフトしている印象があります。何より異なるのは行事の扱いでしょうか。改造社「俳諧歳時記」には夥しい年中行事が仔細に解説され(その時点ですでに廃れつつあるという記述もある)ていましたが、現状の項目は時候ー天文ー地理ー人事の順の並びがほとんどで、どんどん後半に追いやられ、掲載数も減り続けています。見たこともないような行事は参照する頻度が低いとの判断もあるのでしょうけれど、「歳時記」が元来備えていた性格は薄まりつつあるのかなという気がします。

 季語・例句の選定、校閲校正の煩雑さを考えると、歳時記作りは大変な手間を伴う大事業といえます。昭和三十年代ごろの歳時記解説、前文にはその苦労や関係者への感謝の弁が縷々綴られていることも多く、字組みや連絡のアナログさを考えただけでも少し胃の痛くなる想像をしてしまいます。

 俳句を本格的に始めようと思ったら、文庫ではない大部の歳時記をひとは求めるのではないか。巷間夥しい数の歳時記があり、堅牢な一冊を携えれば、載ってない季語に悩む確率も減るというもの。結社に入れば、ひとから勧めを受けることもあるでしょう。そういう意味で、文庫版歳時記は俳句入門の徒花みたいな位置にあるとも言えそうです。それでも気軽なこの小冊に偏愛心をくすぐられ、古本を見かけようものならつい手に取ってしまう。

 文庫歳時記は一般読者、俳句を「読むだけ」、あるいは時々ひねるだけの人もアクセス可能な数少ない俳句の入り口ではないか、と思うわけですが、昨今の出版状況を見ると、これが今でも日常的に書店の店先で気軽に手に取れるのか、少し怪しい気持ちになりつつあります。

 勝手な願望ではありますが、文庫歳時記におかれましては、書店の一角で息づき続けていて欲しい。そう願わずにはいられません。

〈引用文献所蔵〉

『掌中增山井』(東京大学総合図書館所蔵)
出典: 国書データベース,https://doi.org/10.20730/100412216

『筆まめ』(東京大学総合図書館所蔵)
出典: 国書データベース,https://doi.org/10.20730/100413780

『歳時記例句選』(大阪府立中之島図書館蔵)
https://kokusho.nijl.ac.jp/kindai/NKSM-00640

〈参考文献〉

「季語の研究」井本農一(古川書房)

「季語は生きている」筑紫磐井(実業公報社)

「俳句歳時記」平凡社歳時記編集部編(平凡社)

(佐藤りえ)


【執筆者プロフィール】
佐藤りえ(さとう・りえ)
1973 年生まれ。「豈」同人、「俳句新空間」発行人。個人誌「九重」。第五回攝津幸彦記念賞準賞。句集『景色』歌集『フラジャイル』

2005 年頃より造本作家として活動、2017 年米ミニチュア ブックソサエティコンペティションにて最優秀賞受賞、2019 年紙わざ大賞入選など。屋号は「文藝豆本ぽっぺん堂」。

HP https://www.ne.jp/asahi/sato/dolcevita/
X @sato_rie


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