神保町に銀漢亭があったころ【第72回】本井英

銀漢亭のおみそ

本井英(「夏潮」主宰)

私は子供の頃から鎌倉・逗子に住んでいるので「夜の東京」には、あまり縁がない。なにしろ日付が替わる頃には終電が無くなり、帰宅不能になってしまう。だから飲んでいても何時も時間を気にし、酩酊しないように気を遣う。夜の盛り場で「もう一軒!」などと酔い心地を楽しんでおられる御仁を見かけると、なんとも羨ましくて仕方がない。

という訳で、俳句の世界で有名な「銀漢亭」さんにも、数えることが出来るくらいしか伺っていないし、それも同じ逗子在住の山田真砂年さんとご一緒のときばかりだったと思う。なにしろ真砂年さんとご一緒なら時間を間違える心配もないし、逗子まで連れて帰ってもらえるので、こんな安心なことは無いからだ。いま、このことを書きながら、同じ「逗子組」の草間時彦先生がご存命だったら、どうだったかしらと思った。詳しいことは判らないのだが草間先生は「銀漢亭」にいらしたことがあっただろうか。もしいらしたことが無いのだったら、一度「銀漢亭」の楽しさを先生に味わわせたかった。

というわけで、私は「銀漢亭」では「おみそ」みたいな存在だったから「勇猛果敢」なる「ご常連」達を余り存じ上げない。ただ小川洋太さんばかりは、彼がまだ「子供」だった時代から存じ上げていたので、お顔を見かけると一寸嬉しくなった。

またいつか「銀漢亭Ⅱ」が夜の町に現れたら、もう一度行ってみたい。とはいうものの、三年前の病気以来、全く酒を飲まなくなってしまった私が注文できるメニューはあるかしら。「ぜんざい」一つなどと言ったら叱られそうだ。


【執筆者プロフィール】
本井英(もとい・えい)
1945年生まれ。俳誌「夏潮」主宰。大磯鴫立庵第第二十三世庵主。


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