神保町に銀漢亭があったころ【第90回】矢野春行士

玲奈パパ

矢野春行士(「玉藻」同人)

行きつけの神保町シアターの近くに銀漢亭はあった。ひょんなことから私は娘矢野玲奈を俳句に誘ったのだが、いつしか玲奈は自分の俳句ワールドを作っていき、私は俳壇の最新事情を娘に教えてもらうようになっていた。まさに銀漢亭もそのひとつだった。

伊那男さんの人柄、俳句、料理の魅力。そして、なにより天野小石さん三輪初子さんにお酒・料理を注文するときのトキメキ! 幅広い知識、教養を持つ常連客との楽しい会話。神保町へ行く目的が映画よりも銀漢亭となるのに時間はかからなかった。我が人生に彩を与えてくれるものとなった。

銀漢亭に集まる人々。前から存じ上げている俳人の方々、紹介されて目の前に現れた著名俳人、感激も一入である。でも娘にとっては既に自分の俳句ワールドの方々であろう。伊那男さんは私を紹介するときに「玲奈パパ」とだけ言うようになった。

銀漢亭が何らかの役割を持ったのであろう。玲奈は俳句の縁で松尾清隆と結婚する。「婚約者清隆」が先客で飲んでいるところに出くわして、やあ、やあ、ということもあった。彼らに二人目の子供、今度は女の子が10月に生まれた。

驚くべき偶然もあった。学生時代の友人から紹介されて、その友人以上の飲み友達になった入沢仁と神保町で飲もうということになり、「こんないい居酒屋は無いよ」と胸を張って銀漢亭を教えようとしたら「俺は既に常連だよ!」と引っ張って行かれた。なんと入沢は、奈良から上京の度に立ち寄る「春耕」の深川知子さんの弟君であった。彼とはその後何度も何度も足を運ぶこととなった。

(入沢さんと矢野さんの名コンビ! 中央左が深川知子さん)

コロナ禍が収まったら真っ先に行きたいと思っていたのが銀漢亭である。残念でならない。最後に行ったのは蛇笏の流れをくむ「郭公」同人廣瀬悦哉君を連れ出したときであり、悦哉君は伊那男さんに会えて大喜びであった。私も「玲奈パパ」として大いに飲んだ。あ、その時も入沢が後から3,4人連れて入ってきたっけ。

(入沢と二人で相当飲んだ。獺祭が人口に膾炙する前からここにはあった。さすが俳人居酒屋。)

(入沢さんと飲み友達、一見の友人にもいつも伊那男さんが優しく入ってくれる。)

【執筆者プロフィール】
矢野春行士(やの・しゅんこうし)
1944年、山梨県生まれ。「玉藻」同人。「雲母」同人だった父、長兄、伯父の影響で幼少より俳句は生活の一部。合同句集『遊星』『遊星Ⅱ』『五色』『千』、『俳人選集 玉藻』



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