俳句の本たち【ガチの書評】

【書評】佐怒賀正美 第7句集『無二』(ふらんす堂、2018年)


旅の先々で、生者の声を聴く
佐怒賀正美 第7句集『無二』
(ふらんす堂、2018年)


「秋」主宰・佐怒賀正美の『無二』は、2014年後半から2018年夏頃までの句を収めた第7句集だ。薄い茶色がかった色で印字された美しい世界地図を見開くと、〈TERRA AVSTRALIS NONDVM COGNITA.〉という文字が下部にあらわれる。

この期間に特筆すべきは、出版社を早期退職した佐怒賀が、2015年と2018年の二度にわたって、それぞれ三週間ほどの海外クルーズに(俳句講師として)参加しているということだろう。

もともと、東大の仏文科を出ている佐怒賀であるから、若い時分から〈世界〉へとその視線は向けられていたと言っていい。しかも卒論は、パスカルやボードレールではなく、ナタリー・サロートだったというから、そこいらの学生とは関心の矛先も違っていただろう。フランスの地を踏みたいという意思は強く、就職して子供も生まれて間もなく、ナントへの留学を決意したという。

〈TERRA AVSTRALIS NONDVM COGNITA.〉は、英語でいえば〈the southern land not yet known〉、日本語でいえば「いまだ知られていない南方大陸」という意味である。かつては「南方大陸(テラ・アウストラリス)」(または「メガラニカMagalanica」)が存在すると仮定されており、この種の地図は、いわゆる大航海時代を契機として、18世紀ごろまで形を変えながら製作されつづけた。

佐怒賀はクルーズ船で「未知」の領野へと足を踏み入れながら、想像上のメガラニカを探し出すような心持ちだったのではないだろうか。

というわけで、この句集の第一の特徴は、未知の〈世界〉への挨拶である。前書付の句が多く収められており、地名が読み込まれている句も多い。つまり句集のところどころに、連作としての〈世界〉のスナップが収められているのだが、しかしそれらは、それぞれの地の歴史に頼ることなく、旅行者が出会うことのできる現在を的確に切り取っている。

たとえばこのように、クルーズ船に同乗した落語家や歌手やマジシャンへの「挨拶」も収められている。もちろん観光船だから、有名な遺跡や祭などもまた、一句の素材となっている。

千田栄子さん(ソプラノ)
暑のこもる霊歌や海の闇を曳く

ヘルマントリオ&Koji
夏の灯の船のボサノバ手風琴

ミス・サリバン&Higgs
船揺れに夜涼絡めてジャグリング

中島弘幸さん(マジシャン)
夜涼なり星をつまんで花びらに

南アフリカ・ケープタウン
溶岩が立つマンデラの国の端

リオのカーニバル
カーニバル花火に椰子の影浮かぶ

ボロブドゥール遺跡
大仏塔密林の香のスコール来

インドネシア・コモド島
コモドドラゴン大夕焼を更新す

こんなふうに少し句を眺めてみただけで、この句集の独自性とチャレンジ精神のありかが理解できるはずである。

これらは一句として読んでみても、無理があるわけではない。それは、アフリカでも南米でも東南アジアでも、作者が地球上のどの〈未知〉の土地に赴こうと、根底には現地の〈いま〉への挨拶があるからである。

これらの多様な地を連続的に訪れていくところに、句集としての歓びがあると言っていい。読者はまるで、アベル・タスマン(タスマニアを発見した17世紀の探検家)やジェームズ・クック(ハワイなどを発見した18世紀の探検家)の航海日誌を読んでいるような心持ちになる。


さて、このような〈未知の世界〉を発見する喜びが第一の特徴であるとしたら、第二の特徴として挙げられるのは、この作家の「童心」である。老境というにはあまりに早すぎるが、「軽み」こそが佐怒賀正美のもうひとつの持ち味だ。それはひとつに観念的な言葉の借用としてあらわれる。

宇和島市吉田町
伊予人の蜜柑密度の破顔かな

望郷の第三象限秋の虹  

尾は虚数ここが捨場で蝌蚪の国

蛇穴を出でて自己愛かがやかす

「密度」「象限」「虚数」「自己愛」といったワーディングは、ある種の俳句では敬遠されがちであるが、一句目は目鼻口がすべてぎゅっと詰まった笑い方をする蜜柑農家の人が思い浮かぶ。ここにも宇和島の前書があり、地と人への挨拶となっている。

二句目、理屈でいえば、秋は三番目の季節であり、季節を円環として捉えるなら、「第三象限」となる。「春」がx軸もy軸もプラスであるなら、「秋」はいずれもマイナスということになろう。望郷というものは、想像や感傷にすぎないという割り切りと、割り切ってはみたもののやっぱり……というわずかな情が透けてみえる。

三句目、「捨場」とあるから近くに何かが堆積しているのだろう。屑野菜か何かだろうか。さらにその近くに小川か何かがあり、おたまじゃくしが泳いでいる。そのかたちが「虚数i」のようであると同時に、まだ生えていない足を作者は想像してもいる。屑野菜が捨てられているとすれば、食べるために生産されるが、価格調整のために廃棄されるという矛盾が、この「足なき尾」の浮遊感と響き合っている。

四句目は、蛇の躍動感。もちろん〈蛇穴を出でて己をかがやかす〉では句にならない。「自己愛」といったところで、この世界における蛇の存在感が示される。観念的な用語を使いながらも、その奥には「実」があるところがいい。

しかし、佐怒賀正美の「童心=軽み」は、おおよそ次のような句によって、よりはっきりと示されている。

マチスならどう描く花の坂の奥

早起きは苦手初富士待たせたる

一点之繞二点之繞かたつむり

プルーストは籠り私はサンタする

いい場所は男女にゆづり春の滝

あめんぼの息に彩色してみたし

この種の句は、〈世界〉を旅し、時折は戦争の時代と向き合う作者の社会性を下から支えている「俳諧自由」とも言うべきもの。もちろん、このような種の句ばかりが並んでいたら、読むほうも辟易してしまうものだが、実にバランスがいい。あれっ、こんな句も作るのね、という読み手としての喜びがある。知的であるが、せかせかしていない。そんな作者像がにじむ。


最後にこの句集の特徴をもうひとつ。

この句集の第三の特徴として挙げられるのは、社会的矛盾を突いたような、メッセージ性の強い句である。ただし、このタイプの句は、メッセージ性の強さゆえに、それほど多くを数えられるわけではない。いわば、オーケストラの奥で鳴っているヴィオラの音、あるいはバンドの奏でる音楽の下支えをしているベース音のようなものだ。

父八十七歳
誤報出撃せし父にして生身魂

宮城県田代岳(箕輪山)
核ゴミ厳禁葷酒歓待青い山

神奈川県三浦市松輪(江奈湾)
特攻艇隠せし洞や梅雨の月

核の世の海の獏なりあめふらし家族や生活を詠んだ日常句と、海外クルーズによるもうひとつの日常句に挟まれて、このような戦争や核を主題とした句が少ないながら収められているのは、何よりもまず、「俳句が社会性を失ってはいけない」とこの作家が考えていることを示している。

しかし複雑混迷を極めてしまった人間の社会とは――単純なままの自然界とはちがって――矛盾を抱え込むことを本質としている。

たとえば一句目、唯一の父親でありながら特攻の経験をもっており、かつ特攻の経験をもっていながら現在も生きている、しかも出撃したにもかかわらず誤報だったという、一筋縄にはいかない現実が十七音に凝縮されている。

二句目の真ん中にある難しい文字は「葷酒(くんしゅ)」と読む。葷とは臭気にあるネギの仲間で、酒と同様に出家修行者には禁じられていた。最終処分場建設の反対を主張する立看板やビラの町で、作者は歓待を受けたのである。

美しい自然と、それを毀損する人工の核のゴミ。復興という言葉だけが踊りながら、自分の居住地に核廃棄物が来ることは嫌だという人間心理。処分場建設を進めたい人たちの役所や政治家の思惑と、土地を守ってきた純朴な住人たちの対立。

戦争のことも、沖縄のことも、福島のことも、あるいはテロや宗教対立のことまでも抱え込みながら、私たちの日常が成立しているということ。その危うさをこの句集は包み隠さず、しかし風刺のような句としてではなく、現実の描写として立たせているところに作家の真摯さを感じずにはいられない。

最後に、わたしの最も個人的なレベルで、最も印象深い句を挙げるなら、それは〈英霊に触れよと供花を南溟に〉である。

この句には「レイテ島沖にて」という前書がある。1944年10月までに多くの人命が失われたこの島で、海戦でいくつもの艦隊が沈没した海を見ながら、「英霊に触れよ」と誰かにそっと言われた。作者の心の声なのかもしれない。

しかし「英霊に触れんと」であれば、その「誰か」は隠蔽されてしまう。この(内面化された)他者の呼びかけがなければ、私たちは死者と向き合うことはできない。なぜなら死者の声など、誰も聞くことができないからである。聞こえるのは、「死者の声に耳を傾けよ」という生者の声だけなのだ。

句集『無二』を通読してみれば、さまざまな生者の声に耳を傾ける作家がまなざす〈世界〉の広がりが感じられることだろう。


【執筆者プロフィール】
堀切克洋(ほりきり・かつひろ)
1983年生まれ。「銀漢」同人。第一句集『尺蠖の道』にて、第42回俳人協会新人賞。第21回山本健吉評論賞。



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