【書評】鈴木牛後 第3句集『にれかめる』(角川書店、2017年)

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尋常ならざるもののリアル
:鈴木牛後 第3句集『にれかめる』(角川書店、2017年)


無表情な乳牛が虚ろな目でこちらを見つめながら、干草色の帯を食べている。

鈴木牛後(「藍生」「雪華」「itak」)が、第64回角川俳句賞受賞後に刊行した句集の表紙だ。帯には、〈牛死せり片眼は蒲公英に触れて〉という句が掲載されている。

【牛飼い俳人の「リアリズム」とは】

鈴木牛後は、北海道で酪農を営んでいる俳人だ。やはり北海道で獣医師をしている安田豆作からの勧めで、俳句の道に牛を、もとい足を踏み入れたという。ちなみに牛後が角川賞を受賞した昨年、安田豆作は第29回日本伝統俳句協会賞を受賞した。そのことは別のところ(「つまづいてなんぼ」『俳誌要覧<2019年度版>』)でも書いたが、俳人協会賞が櫂未知子の『カムイ』だったこと足すと、昨年はやたら北海道が熱い一年だった。やはり温暖化なのだろうか?

しかし、鈴木牛後が北海道に暮らしていることを知っていたとしても、先ほどの〈牛死せり片眼は蒲公英に触れて〉という句は、少なくとも私にとって、震災後の景色を想起させるものだった。

「牛の死」というのは、酪農家や畜産家にとっては「日常」のひとつかもしれないが、圧倒的多数の人にとってはそうではないだろう。震災でなくともいいが、一句として詠まれた「牛の死」には、何か尋常ならざるものを感じずにはいられない。

【鈴木牛後の言葉は「濡れている」】

この句と対比的な仕方で、この句集に収録されているのが、〈羊水ごと仔牛どるんと生れて春〉である。この句は、『にれかめる』の巻頭を飾る句であり、酪農家にとってのもうひとつの「尋常ならざるもの」だとも言える。

「片眼」というリアルと、「どるん」というリアル。生と死の生々しさをリアルに描くという側面が、この二句には共通している。前稿で私は、この句や〈仔牛待つ二百十日の外陰部〉を「自然主義的リアリズム」の句と評したが、もう少し気の利いた表現を選ぶなら、鈴木牛後が発する言葉は「濡れている」のだ。

当然といえば当然なのだが、彼は酪農家であって畜産家ではないのだから、相手にしている牛たちはみな「女たち」なのである。仔牛を「どるん」と産んだあの牛は言わずもがな、片眼を蒲公英に触れて死んでいたあの牛もまた「女」なのだ。そのことに気づいてみると、この句集のもっている「エログロ性」がより明快なものになるはずだ。

 冷ややかや人工乳首に螺子がある
 老牛の乳垂れてゐる鼓草
 牛の乳みな揺れてゐる芒かな
 牛の名は女優の名前ゑのこ草
 仔牛の寒衣脱がせ裸と思ふ春
 発情の声たからかに牛の朱夏

一句目は、これも当然のことながら人間を詠んだ句ではない。二句目以降は牛であることは明白だが、周囲の草木と取り合わせた句(「鼓草」「芒」「ゑのこ草」)と、牛の生活や生態を詠んだ句(「人工乳首」「寒衣脱がせ」「発情の声」)とでは、趣がまったく異なっている点には注目しておいてもよい。

前者は何とはない日常の光景であり、それゆえに周囲にある草木と矛盾しない。だが、後者の場合には「冷ややか」「春」「朱夏」という大づかみの季語が用いられていることからも明らかなように、具体性の強い季語と調和させるのが至難の業だ。

【「大づかみの季語」のレトリック】

鈴木牛後の句の特徴のひとつは、そのような「大づかみの季語」がいくらか頻繁に用いられていることだろう。巻頭句の〈羊水ごと仔牛どるんと生れて春〉もそのひとつだが、他には次のような句が挙げられる。

 山羊の眼のうつろに夏を食ひ尽す
 みどりの冬かつて祖父母に赤い夏
 五十余年使ひし蹠見れば冬
 牧に穴あり覗けば奥の奥まで冬
 ここここと牛乳注げば飛び散る春
 倒木はみな仰向けと思ふ秋
 春動くるろるるろると牛の舌

「春」「夏」「秋」「冬」は、たしかにどの歳時記にも収録されている季語ではあるが、具体性に乏しくなかなか使うのが難しい。〈算術の少年しのび泣けり夏〉のように有名句がないわけではないが、やはり少ないだろう。

鈴木牛後は、これらの季語を換喩的に用いようとする。換喩(提喩)は、省略と誇張によるレトリックである。たとえば、一句目で山羊が食べ尽くすのは「夏草」であり、それを「夏」という全体性へと転じている。五句目で飛びっているのは「春」ではなく、「春の牛乳」である。ここで行われていることは、「四季の瞬間化」と呼んでみてもよいかもしれない。

通常私たちは、春夏秋冬という四季のなかにさまざまな動植物などの季語が下位区分として分類されると考えている。しかし、鈴木牛後における換喩の多用は、そうした上下関係にノンを突きつけるものだ。

【一回的で瞬間的に立ち上がる「季節」】

つまり、春夏秋冬というのは「一回性」としてしか存在せず、だらだらと続いているものではない、ということだ。先の例でいうならば、牛乳が飛び散ったその瞬間に、作者にとって「春らしさ」(英語のspringの語義さながらに、勢いよく飛び散るというダイナミズム)が感じられたからこそ「飛び散る春」なのである。

この句は、「春が飛び散っている」わけではなく、「飛び散るような春だ」という意味であると解することも可能だが、それでは面白くないだろう。春のうららかな日に、たまたま牛乳が散ったのではない。牛乳が散ったからこそ、その瞬間が「春」となったのだ。仔牛が「どるん」と生まれたからこそ、その瞬間が「春」が感じられたのと同じように。

もちろん、日常世界において、「春」は便宜上365日の1/4あるわけで、それは古代中国の時代に発明された暦法によって数学的に説明されるものだ。あるいは実感としても、「春」というイメージを抱くような日は、ある一定の期間続くものだろう。そのような「だらだら」した季節感に、鈴木牛後はノンを突きつける。

そもそも、京都中心の歳時記と、北海道の気候は必ずしもフィットしない。だからこそ、次のように問うのだ。「瞬間的」に立ち上がる四季というものが、あるはずではないかと。春夏秋冬は、その都度、立ち上がるものなのではないかと。

【物語的な主体と肌感覚のリアル】

その点で、句集『にれかめる』においてもうひとつ顕著なのは、「われ」が繰り返し登場することである。しかもそれは、〈落椿われならば急流へ落つ〉のような、確固としたセルフイメージとしての「われ」ではない。

鈴木牛後における「われ」は、どこか高みから客観的に捉えられ、結果としてその都度、セルフイメージが更新されていくのである。これは一冊の句集のなかで、一貫性のある統一的主体が立ち上がってくるタイプとは異なり、どこまでも主体はフィクション化され、複数化されていく。

 蛇と吾にであひがしらといふあをさ
 吹雪く夜の掠れ墨めくわが躰
 啄木鳥と吾のあひだを古りゆく木
 角焼きを了へて冷えゆく牛と我
 風邪心地わが外側に誰かゐる
 雪解野やわれは被食者かもしれず

しかし、このような「ふわふわとした主体」を思わせぶりに描くだけにとどまっていないのが、大事なポイントだ。鈴木牛後は、こうした物語的な主体から一転して、一人称的な、現実の肌感覚のリアルへとつねに戻る。いや、むしろ戻らざるをえないというべきか。

 便座ごと撥ね上げらるる冬の蝿
 肉体一本万緑が締め上げてゆく
 雪に去年のわが足跡の確かなる
 雑煮椀牛の乳房を揉みし手に
 冬ざれて牛ざざざらとわれを舐む

このような肌感覚は、冒頭の「どるん」につながるリアリティである。疑いようのない、その場で生まれた、一回きりの現実。自分自身が、あるいは世界がはっきりと力をもって立ち上がってくる日常の一局面。このような世界と自分自身がかぎりなく一体化した瞬間は、幸福感に満ちている。

【「いのち」との距離の取り方】

これに対して、「牛と我」というような客観性は、どこか絵空事めき、誤解を恐れずにいえば、「われ」という存在の不確かさのようなものを感じずにはいられない。これはたんなる想像にすぎないが、「どるん」のような強烈なリアリティは、ある種の非日常的快楽が日常を相対的につまらなくしてしまうのに似て、酪農家に現実から現実感を失わせているのではないか。

数えきれぬほどの獣たちの「いのち」を相手にしているのだから、彼にとっての俳句とは、強烈な現実と適切な距離をとるための「処方箋」なのかもしれない。

 牛を見て牛に見られて大旦
 芋虫踏む破裂音われに摩擦音
 色鳥のまぢかに鳴いてはるかなる
 一頭の病みて夜寒の牛の群
 野良猫の寒さうに血の昏さうに
 獣への愛を語りし春炉かな
 星月夜一歩下がつて見てしまふ

とにもかくにも、鈴木牛後の句には必ずといっていいほど、「いのち」が詠まれている。それはなにも牛だけではない。踏み潰してしまった芋虫、凍死するかもしれぬ野良猫、北の大地に飛来した小鳥たち……。その無数の生老病死のなかに生きている自分自身。

句集『にれかめる』には、いくつもの「尋常ならざるもの」が詠まれているが、しかし同時に作者は、そのような強烈な現実を「一歩下がつて見てしまふ」。そうすることで精神のバランスを保っているような、どこか「アングラ臭」のただよう句集でもある。

【執筆者プロフィール】
堀切克洋(ほりきり・かつひろ)
1983年生まれ。「銀漢」同人。第一句集『尺蠖の道』にて、第42回俳人協会新人賞。第21回山本健吉評論賞。

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