ふゆの春卵をのぞくひかりかな 夏目成美【季語=冬の春(冬)】


ふゆの春卵をのぞくひかりかな

夏目成美
(『成美家集上』文政10年)


旧暦でいうと、今日は大晦日。なんだか気分としては「おおみそか」ではなく、「おほつごもり」と言いたくなる。育った土地は旧正月も祝う風習が少し残っていたけれども、関東に出てきてからは旧正月を実感することはほとんどなくなってしまった。本連載では新暦に続き旧暦も木曜日が大晦日になったところで、では近世の大晦日の句でもと思ったのだが、そういえば、今年の立春は2月3日で、旧正月が2月12日。いわゆる「年内立春」というやつではないか、と気がついた。現代俳人がこれを詠むことはなかなかないこととなってしまったが、富安風生には「年の内に春立つといふ古歌のまま」がある。これは、古今和歌集巻頭の在原元方「年の内に春は来にけりひととせを去年とやいはむ今年とやいはむ」を踏まえた句で、この元方の歌は子規が「再び歌よみに与ふる書」で「実に呆れ返つた無趣味の歌に有之候」、と古今調を罵倒する材料にされたやつである。そんなことは百も承知で、風生はしれっと「古歌のまま」と詠んでいるのだろう。

さて、掲句。作者夏目成美は一茶の世話をしたことでも知られる俳諧の大家、江戸蔵前の札差六代目井筒屋八郎右衛門である。季語は「冬の春」で、「年内立春」の傍題。これらは歳時記の冬の時候の最後に載る。つまり、歳時記では季の感覚として暦の一日を優先し、二十四節気を格下げしているのだが、その理由は古歳時記にすでに解説がある。「貞徳師云、年内立春、歌の題には春の部にて、代々の撰集おほくは巻頭に入れらる。連歌には冬也。俳諧又冬に用ふ可き也。」(『滑稽雑談』)。貞徳は松永貞徳。和歌は春の題で詠むが、連歌以来俳諧は冬で詠むという。どうやら俳句もそのままこれに倣う形で、現代の歳時記が冬の季に入れているのだろう。

成美はその年内立春の気分を、「卵を覗く光」すなわち陽に透かして見た卵の明るさと取り合わせた。俳諧では年内立春は春が冬(年の内)に乗り越えてくる気分を詠むものという風があって、「年の内へ踏み込む春の日足かな」(季吟)というミもフタもない句などもあるのだが、成美の句はそれとは一線を画すように感じる。もやもや薄ぼんやりと、しかしあたたかみのある光。おそらく有精卵のイメージで、やがて殻を破ってでてくる本当の春季がそこに閉じ込められているような生命感がある。ところで、掲句は「成美家集」の巻頭句であり、つまり春の部におかれている。近世の句集は作者の死後に縁者が編むものだから成美個人の意図はさておかれるが、たしかにこの句が冬にあるのはなんだか不似合いだ。そして、近世の俳人が必ずしも年内立春を冬季だとは思っていなかったことがわかる。

橋本直


【執筆者プロフィール】
橋本直(はしもと・すなお)
1967年愛媛県生。「豈」同人。現代俳句協会会員。現在、「楓」(邑久光明園)俳句欄選者。神奈川大学高校生俳句大賞予選選者。合同句集『水の星』(2011年)、『鬼』(2016年)いずれも私家版。第一句集『符籙』(左右社、2020年)。共著『諸注評釈 新芭蕉俳句大成』(明治書院、2014年)、『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』(ふらんす堂、2018年)他。


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