
耳朶の聡き血のいろ野分くる
渋川京子
言葉の組み合わせが幾重にも不思議なイメージを生み出し、季語の野分を呼び寄せたかのような句だ。整然とした写生の裡に実感や情が滲んだ句も好きだが、読者に挑戦するかのような如何なる解釈をも許容する句の魅力も捨てがたい。渋川京子は間違いなく後者に属する俳句作家だ。思えば、彼女はずっと己と世界のかかわりを十七音と季語の裡に表わさんと挑み続けている表現者である。だからこそ、掲句はもとより以下のような独自の個性と魅力に溢れた俳句作品を数多く生み出してきた。
良夜かな独りになりに夫が逝く
磨り硝子にもどる少年天の川
口中に醒めてレモンの青き種
掲句に戻ろう。耳朶の「聡き血のいろ」とは何なのか。柔らかい独特の感触の耳朶にはたくさんのツボがあり、優しく触れるだけで全身の血行がよくなり体調も自然と整うと整体師に教えてもらったことがある。以来、ときどき耳朶全体を触れるようにしているのだが、貝のようなかたちを縁に沿ってゆったり摘まんでいるうちに耳全体から身体の芯に血が集まってくる感覚が確かにある。その時、耳朶はこころなしか赤くなり視覚では普段意識することのない血の存在をしかと覚える。
その耳朶の血のいろの形容「聡き」。この謎かけのような感覚的な形容をどう捉えるか。これについては、前述の血行の上昇による耳朶の(そして作者自身の)健康的な存在感の表れを形容している、と単純に捉えてもよいと思う。あるいは「耳朶のかたちの良さを際立たせている血のいろ」ととってもよいと思う。福耳に代表されるように、耳のかたちは人物の印象に大きく寄与する。かたちに性格が出ているとも言われる。掲句の人物の耳が福耳なのか否かは十七音の情報からは不明だが、秋の暴風の威力を効果的に伝えることを目的にした句と仮定すれば耳朶が肉厚な福耳と解釈しても差し支えないと思われる。だからこそ、「肉厚な耳朶≒生命力」ともとることができ、野分の季語とも響きあってくる。
「野分くる」なので、野分はすでに到達しているのか、それともこれから来るのか。それも読者の解釈・想像の自由に任されている。どちらの解釈でも掲句の魅力は揺るがない。野分を感じながら独り佇む人物(作者)の姿が脳裏に明確に浮かぶからだ。その映像は姿だけでなく、胸の裡の表れでもあろう。もっと言えば、野分が来る前から既に作者の裡に野分と共鳴する熱塊が存在しているのだ。人生の、生きる日々と生命の中のままならぬ経験、その最中で育んだ自己と意識。「禍福は糾える縄の如し」という言葉があるが、作者にとっての野分とはそんな感じなのかもしれない。そう捉えれば、吹きすさぶ暴風に耐えながら一歩ずつ前へ向かう姿は人生および俳句に立ち向かう作者自身と意思そのものであろう。
渋川京子の俳句に接するたびに俳句表現の新たな側面に驚かされ、この自由を獲得するために彼女がどれほどの修羅を乗り越えてきたのかと思わずにいられない(その意味で飯島晴子と共通したところがあるといえるだろう)。と同時に、俳句作品の解釈・想像の自由度の広さ・無限大の可能性に気づかされ、嬉しさを覚える。
「自分は俳句という、こんなに面白い表現ジャンルと出会えたのだ」
おのれの言葉と十七音を探し季語と邂逅するために、筆者なりにこれからもさまざまな経験や格闘をするだろう。その過程で、身の裡に渋川京子の俳句が栄養として蓄積されていること、そして(福耳だった、今は亡き人とともに)私淑できたことに感謝の念を禁じ得ない。
(柏柳明子)
【執筆者プロフィール】
柏柳明子(かしわやなぎ・あきこ)
1972年生まれ。「炎環」同人・「豆の木」参加。第30回現代俳句新人賞、第18回炎環賞。現代俳句協会会員。句集『揮発』(現代俳句協会、2015年)、『柔き棘』(紅書房、2020年)。2025年、ネットプリント俳句紙『ハニカム』創刊。
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【2025年10月のハイクノミカタ】
〔10月1日〕教科書の死角に小鳥来てをりぬ 嵯峨根鈴子
〔10月2日〕おやすみ
〔10月3日〕破蓮泥の匂ひの生き生きと 奥村里
〔10月4日〕大鯉のぎいと廻りぬ秋の昼 岡井省二
〔10月5日〕蓬から我が白痴出て遊びけり 平田修
〔10月6日〕おやすみ
〔10月7日〕天国が見たくて変える椅子の向き 加藤久子
【2025年9月のハイクノミカタ】
〔9月1日〕霧まとひをりぬ男も泣きやすし 清水径子
〔9月2日〕冷蔵庫どうし相撲をとりなさい 石田柊馬
〔9月3日〕葛の葉を黙読の目が追ひかける 鴇田智哉
〔9月4日〕職捨つる九月の海が股の下 黒岩徳将
〔9月5日〕ありのみの一糸まとはぬ甘さかな 松村史基
〔9月6日〕コスモスの風ぐせつけしまま生けて 和田華凛
〔9月7日〕秋や秋や晴れて出ているぼく恐い 平田修
〔9月8日〕戀の數ほど新米を零しけり 島田牙城
〔9月9日〕たましいも母の背鰭も簾越し 石部明
〔9月10日〕よそ行きをまだ脱がずゐる星月夜 西山ゆりこ
〔9月11日〕手をあげて此世の友は来りけり 三橋敏雄
〔9月12日〕目の合へば笑み返しけり秋の蛇 笹尾清一路
〔9月13日〕赤富士のやがて人語を許しけり 鈴木貞雄
〔9月14日〕星が生まれる魚が生まれるはやさかな 大石雄介
〔9月15日〕おやすみ
〔9月16日〕星のかわりに巡ってくれる 暮田真名
〔9月17日〕落栗やなにかと言へばすぐ谺 芝不器男
〔9月18日〕枝豆歯のない口で人の好いやつ 渥美清
〔9月19日〕月天心夜空を軽くしてをりぬ 涌羅由美
〔9月20日〕蜻蛉のわづかなちから指を去る しなだしん
〔9月21日〕五体ほど良く流れさくら見えて来た 平田修
〔9月22日〕虫の夜を眠る乳房を手ぐさにし 山口超心鬼
〔9月23日〕真夜中は幼稚園へとつづく紐 橋爪志保
〔9月24日〕秋の日が終る抽斗をしめるやうに 有馬朗人
〔9月25日〕巻貝死すあまたの夢を巻きのこし 三橋鷹女
〔9月26日〕ひさびさの雨に上向き草の花 荒井桂子
〔9月27日〕紙相撲かたんと釣瓶落しかな 金子敦
〔9月28日〕おやすみ
〔9月29日〕恋ふる夜は瞳のごとく月ぬれて 成瀬正とし
〔9月30日〕何処から来たの何処へ行くのと尋ね合う 佐藤みさ子
【2025年8月のハイクノミカタ】
〔8月1日〕苺まづ口にしショートケーキかな 高濱年尾
〔8月2日〕どうどうと山雨が嬲る山紫陽花 長谷川かな女
〔8月3日〕我が霜におどろきながら四十九へ 平田修
〔8月4日〕熱砂駆け行くは恋する者ならん 三好曲
〔8月5日〕筆先の紫紺の果ての夜光虫 有瀬こうこ
〔8月6日〕思ひ出も金魚の水も蒼を帯びぬ 中村草田男
〔8月7日〕広島や卵食ふ時口ひらく 西東三鬼
〔8月8日〕汗の人ギユーツと眼つむりけり 京極杞陽
〔8月9日〕やはらかき土に出くはす螇蚸かな 遠藤容代
〔8月10日〕無職快晴のトンボ今日どこへ行こう 平田修
〔8月11日〕天上の恋をうらやみ星祭 高橋淡路女
〔8月12日〕離職者が荷をまとめたる夜の秋 川原風人
〔8月13日〕ここ迄来てしまつて急な手紙書いてゐる 尾崎放哉
〔8月14日〕涼しき灯すゞしけれども哀しき灯 久保田万太郎
〔8月15日〕冷汗もかき本当の汗もかく 後藤立夫
〔8月16日〕おやすみ
〔8月17日〕ここを梅とし淵の淵にて晴れている 平田修
〔8月18日〕嘘も厭さよならも厭ひぐらしも 坊城俊樹
〔8月19日〕修道女の眼鏡ぎんぶち蔦かづら 木内縉太
〔8月20日〕涼新た昨日の傘を返しにゆく 津川絵理子
〔8月21日〕楡も墓も想像されて戦ぎけり 澤好摩
〔8月22日〕ここも又好きな景色に秋の海 稲畑汀子
〔8月23日〕山よりの日は金色に今年米 成田千空
〔8月24日〕天に地に鶺鴒の尾の触れずあり 本間まどか
〔8月26日〕天高し吹いてをるともをらぬとも 若杉朋哉
〔8月27日〕桃食うて煙草を喫うて一人旅 星野立子
〔8月28日〕足浸す流れかなかなまたかなかな ふけとしこ
〔8月29日〕優曇華や昨日の如き熱の中 石田波郷
〔8月29日〕ゆく春や心に秘めて育つもの 松尾いはほ
〔8月30日〕【林檎の本#4】『 言の葉配色辞典』 (インプレス刊、2024年)