趣味と写真と、ときどき俳句と
【#10】食事の場面

青木亮人(愛媛大学准教授)


水木しげるの『墓場鬼太郎』を読んでいると、ねずみ男が巨大なホットケーキを平らげる場面があり、何ともおいしそうに頬張っていた。

ねずみ男は大口を開けて「ガーッ」という擬音語とともにハチミツをたっぷり塗ったホットケーキにかぶりつき、ムシャムシャと咀嚼する。ホットケーキを食べるという営為をかくも美味しそうに描く作者の水木しげるは当時いかなる食生活をしていたのだろう……とあらぬ想像をしつつ、そういえば『墓場鬼太郎』が執筆されたのは昭和30年代だったことを思い出した。

昭和30年代といえば、小津安二郎の『秋刀魚の味』が公開された時期である。小津の遺作でもあり、笠智衆をはじめとするいつもの面々が銀幕に現れ、ほろ苦い人生のひとときを演じる作品だ。

その『秋刀魚の味』の中で、とんかつを食べる場面が出てくる。妹が秘かに思いを寄せる相手の心中を探るため、彼女の兄がその相手とともにとんかつ屋の二階に上がりこみ、ヒレカツとビールで夕食を摂りながら話をする……という場面である。

監督の小津自身もとんかつ好きで、上野の「蓬莱屋」が贔屓だったのは有名だ。『秋刀魚の味』の場面も蓬莱屋を思わせる部屋で、撮影時には実際に「蓬莱屋」のカツが使われたという。

映画の中で、とんかつを食しながらの妹の縁談話は不調――その相手(吉田輝雄)にはすでに恋人がいたことが判明する――に終わるのだが、この場面のとんかつはさほど美味しそうに描かれていない。特に兄(佐田啓二)が「やっちまったナ…」という感じでヒレカツを箸でつついたり、さして旨そうに食べていないためだろう。一方、妹の想い人である相手は健啖で、「ビールもう一本もらいましょうか」「トンカツもう一ついいですか」「美味いですね」と威勢がいいのだが、惜しいことに後ろ姿でカツを頬張っているため、美味しそうに食べる表情等が分からない。

無論、小津安二郎の意図はとんかつを美味しそうに描くことにあるはずもないため、映画の内容とは別の個人的な感想に過ぎない。同時に、話の筋と切り離す形で食事の場面に見入るは面白いものだ。

先ほどの水木しげる『墓場鬼太郎』も物語とホットケーキは関係ないのだが、いかにも美味しそうに描かれているため妙に印象的に記憶に残ってしまう。逆に、『秋刀魚の味』は旨いはずのとんかつが何やら人生のほろ苦い味わいに感じられるため、それはそれで印象的に記憶に残る。

このように考えると、食事に関する記憶そのものが残りやすいのかもしれない。五感に訴えるひとときだからだろうか。俳句でも映画やマンガの食事の場面と似たことがいえるかは分からないが、少なくとも次の句は美味しそうだ。

天 井 に あ る 水 か げ も 鮎 の 味  正木ゆう子

【次回は5月30日ごろ配信予定です】


【執筆者プロフィール】
青木亮人(あおき・まこと)
昭和49年、北海道生れ。近現代俳句研究、愛媛大学准教授。著書に『近代俳句の諸相』『さくっと近代俳句入門』など。


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