神保町に銀漢亭があったころ【第33回】馬場龍吉

リアル銀漢亭とバーチャル銀漢亭

馬場龍吉(「蒐」代表)


新型コロナウイルス感染症を避けるための3密。密閉・密集・密接を避けるということになると銀漢亭の存在も否定されたかのようでもある。もちろん銀漢亭の閉店はこれらが理由ではないのだが。

今にして思えば、この3密があったればこその銀漢亭だったのではないだろうか。銀漢亭という空間はいわばこの距離感があってこその魅力だったのではないか。

顔を出せばかならず知った顔のある心地良さ。知った顔がなかったとしても、俳縁があれば誰に話しかけても失礼のない場所だった。

と、東京近郊の人にはいつでも立ち寄れる位置に銀漢亭があり、地方から出張のついでに立ち寄ったり、わざわざ銀漢亭を目指して来られる人もいて、俳人に心地良い場所と時間を提供してきた。

もちろん訪れる人はマスター伊藤伊那男に会いたく話を聞きたく来店していたのだが。閉店で看板を下ろすまで俳句界に欠かせない俳人のサロンとなっていた。

さて、バーチャル銀漢亭だが、「銀漢」誌の巻末にある『銀漢亭日録』を毎月愉しみにしている読者も多いはず。ぼくもその一人である。

ぼくは「銀漢」誌の編集デザインを担当しており半月ほどをその作業にかかりっきりなので、リアル銀漢亭にはなかなか行けなかった。毎月『銀漢亭日録』を読んであたかも客人の一人だったような気分に浸っていた。

あれ、この人は今夜も来ているよ。あっ、この顔ぶれが揃うと、そろそろシャンパンが開く音が響くことになりそうだ。それで伊那男さんの身を心配しながらも「ああ、またやってしまった!」の決め台詞が聞けるのを待っているのだった。

自分もそこにいたような気分にさせてくれるバーチャル銀漢亭がそこにはあった。

もちろんこちらの銀漢亭はいつまでも続くのでこれからも本誌「銀漢」を愉しみにしてほしい。店を閉めてからの伊那男さんは深酒をしなくなったので待望の決め台詞も聞けなくなったかもしれないのだが。

【執筆者プロフィール】
馬場龍吉(ばば・りゅうきち)
1952年新潟県生まれ、東京都在住。第49回(2004年)角川俳句賞受賞。俳句誌「蒐」代表。「銀漢」誌、「」誌のデザイナーも務める。


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