【第35回】
英彦山と杉田久女
広渡敬雄(「沖」「塔の会」)
英彦山は、大分県と接する福岡県の最高峰で1200メートル、大峰山、羽黒山と並び日本三大修験道場(山岳信仰の霊山)。
明治2年の神仏分離令で、僧坊三千超の宿坊も激減し隆盛を失った。入口の銅鳥居と奉幣殿は国の重要文化財である。遠賀川の源流で、山頂付近は、山毛欅、大杉が繁茂し、裏手の豊前坊(高住神社)を経て、名勝耶馬渓へ行ける。
谺して山ほととぎすほしいまゝ 杉田久女
英彦山の夕立棒の如くなり 野見山朱鳥
霧厚し土の鈴より土の音 沢木欣一(英彦山土鈴)
砥のごとく厚く畦塗り比古の田は 向野楠葉
雪沓に替へ上宮へ英彦の禰宜 江口竹亭
鬼杉のうしろの真闇夜鷹鳴く 豊長みのる
秋扇をひらけば水の豊前坊 黒田杏子
〈谺して〉の句は、英彦山の前書きがあり、昭和6(1931)年40歳の折の作で『杉田久女句集』に収録。久女の代表句として名高く奉幣殿に句碑あり、大阪毎日新聞等主催の「日本新名勝俳句」で十万余句から選ばれた最優秀二十句帝国風景院賞(金賞)の作品。同時作〈橡の実のつぶて颪や豊前坊〉も銀賞に輝いた。
ちなみに金賞は、〈啄木鳥や落葉をいそぐ牧の木々 水原秋櫻子〉〈滝の上に水現れて落ちにけり 後藤夜半〉〈さみだれのあまだればかり浮御堂 阿波野青畝〉等後世に残る名吟ばかりである。「ほととぎすは、谷から谷へと鳴き、実に自由に高らかにこだましていた。ほしいまゝが見つかるまで五六度足を運んだ」と自解する。「女性らしからぬ雄渾な句で、作品に掛けた久女の生命、作家魂である」(山本健吉)、「ア音・オ音が主律のしらべと下五が霊山たる深山幽谷の新緑の大景を活写し艶麗にして雄渾な句である」(鷹羽狩行)、「やって来るまで辛抱強く待つこと(苦吟)の果てに「ほしいまゝ」の五文字を感得した久女の喜びはいかばかりか」(清水哲男)、「英彦山の精の様なほととぎすが、あたかも自分だけに鳴いてくれる至福の時間」(小島健)等の鑑賞がある。
杉田久女は、明治23(1890)年、鹿児島市生まれ。官吏の父の勤務に伴い、沖縄、台湾を経て東京女子高師付属高等女学校卒。愛知県東部の小原村松名(現豊田市)の代々の素封家の跡取りで、東京美術学校西洋画科卒の杉田宇内と十九歳で結婚。将来著名な画家夫人を夢見るも、夫は、福岡県小倉中学校の美術教師となり、悶々としたなかで、大正5(1916)年二十六歳から次兄赤堀月蟾に俳句の手解きを受け、「ホトトギス」に投句し始め、虚子に師事。万葉調で自我の強い作品で頭角を現し、長谷川かな女、阿部みどり女を知り中村汀女、橋本多佳子を指導した。
昭和6年には、「日本新名勝俳句」金賞、翌年には、「花衣」創刊主宰(但し5号で廃刊)し、九州で二番目の「ホトトギス」同人として、同七,八年には、雑詠巻頭を得て、常に鬼城、蛇笏、石鼎等と競いあい名声を博した。
生来の情熱家に加え一途で、一田舎教師の妻たるに安んぜず、夫との離婚問題も起きた。隆盛し始めた厨俳句とは次元を異なる作品を生み出す作家魂(山本健吉)が却って誤解を深め、同11年、吉岡禅寺洞、日野草城とともに、突然「ホトトギス」同人を除名され、作品発表も出来ず、失意のまま精神の安定性を失い、昭和21(1946)年1月21日、大宰府の病院で逝去。享年55歳。
逝去6年後、長女石昌子の熱意により、「清艶高華」の虚子序文の『杉田久女句集』が刊行された。坂本宮尾は、謎とされる「ホトトギス」同人除名の経緯を、ホトトギスの他の女性俳人(星野立子、中村汀女等)と異質な芸術家傾向で自己顕示欲が強い久女を虚子が忌諱し、虚子一途に必死に句集上梓を熱望するものの煮え切らぬ虚子の対応に、常軌を逸した行動や秋桜子等アンチ虚子や徳富蘇峰らの助力での句集刊行の企てが、その逆鱗に触れたからとする。
そして、久女は厨俳句から脱却し俳句作家の道を意識的に歩んだ先駆者。美しいものを捉える直感力、天性の感性で、「久遠の芸術の神」から愛された幸福な俳人と結論付け、俳句への一途さ、真摯な努力に胸が詰まると述べる。
「妖艶でアカデミックな凛とした句風、男性を凌ぐ偉才は額田王にも肖る」(竹下しづの女)、「〈ノラともならず〉の様な作品が人口に膾炙したのは、久女には、むしろ不幸だった」(飯田龍太)、「作品の底に久女の芸術性と文学性、人間性の美しさが潜んでいる」(石昌子)、「「俳句で可能な限りの広大な空間と時間とを正面から鎮めている」(飯島晴子)濃密で格の大きい芸術美の世界、何物も冒せぬ言語空間の完璧な世界」(宗田安正)、等々の鑑賞がある。
朝顔や濁り初めたる市の空 (小倉旦過市場)
紫陽花に秋冷いたる信濃かな(父の故郷松本城山公園に句碑)
防人の妻恋ふ歌や磯菜摘む
栴檀の花散る那覇に入学す
足袋つぐやノラともならず教師妻
東風吹くや耳現はるゝうなゐ髪
燕来る軒の深さに棲みなれし
鶴舞ふや日は金色の雲を得て
ぬかづけば我も善女や仏生会(ホトトギス初巻頭)
風に落つ楊貴妃桜房のまま(同)
無憂華の木陰はいづこ仏生会(同)
灌沐の浄法身を拝しける(同、杉田宇内邸跡に句碑)
丹の欄にさへづる鳥も惜春譜 (宇佐神宮・ホトトギス巻頭)
花衣ぬぐや纏る紐いろいろ
張りとほす女の意地や藍ゆたか
白妙の菊の枕をぬひ上げし (虚子に菊枕贈る)
虚子ぎらひかな女嫌ひのひとへ帯
虚子留守の鎌倉に来て春惜しむ
夜光虫古鏡の如く漂へる
夕顔やひらきかゝりて襞深く
虚子に忌避されて不遇な晩年を送り、不当な風聞に近年まで付き纏わされたが、天才的な資質の格調高い作品そのものから屈指の女性俳人と客観的に評価され、泉下の久女もほっとしていることだろう。
(「青垣」15号加筆再編成)
【執筆者プロフィール】
広渡敬雄(ひろわたり・たかお)
1951年福岡県生まれ。俳人協会幹事。句集『遠賀川』『ライカ』(ふらんす堂)『間取図』(角川書店)。『脚注名句シリーズⅡ・5能村登四郎集』(共著)。2012年、年第58回角川俳句賞受賞。2017年、千葉県俳句大賞準賞。「沖」蒼芒集同人。俳人協会幹事。「塔の会」幹事。著書に『俳句で巡る日本の樹木50選』(本阿弥書店)。
<バックナンバー一覧>
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【第33回】葛城山と阿波野青畝
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