霧まとひをりぬ男も泣きやすし 清水径子【季語=霧(秋)】

まとひをりぬ男も泣きやすし

清水径子
(『鶸』)

 作者は、明治44年、東京生れ。幼いときに両親と死別し、祖母のもとで姉弟と暮らした。昭和7年、21歳の時に結婚するも離婚。昭和12年、26歳の時に、弟が死去。姉の夫であった東京三(秋元不死男)のすすめにより俳句に興味を持つ。昭和24年、38歳の時に、秋元不死男が「氷海」を創刊し、それに参加。翌年同人になる。昭和48年、62歳の時に第1句集『鶸』を出版。昭和52年、秋元不死男逝去により、翌年「氷海」終刊。昭和54年、中尾寿美子と共に永田耕衣主宰「琴座(りらざ)」に入会し、同人となる。昭和56年、70歳の時、第2句集『哀湖』出版。平成6年、83歳の時、第3句集『夢殻』出版。平成8年、「琴座」終刊。平成10年、「琴座」の元同人たちと季刊同人誌「らん」創刊。平成13年、90歳の時、第4句集『雨の樹』出版。翌年、第17回詩歌文学館賞受賞。平成17年、94歳逝去。同年『清水径子全句集』刊行。

 幼い頃の両親の死、弟の早逝が作句の原点となり、死と悲しみと孤独を詠み続けた。

  慟哭のすべてを螢草といふ」

  二百十日淋しきものは生乾き

  孤独とはすさまじきかな栗の虫

  ちらちら雪弟よもう寝ましたか

  飛花落花などと別れは矢つぎばや

  芍薬の肉のひたすらなる哀しみ

 生のはかなさ、淋しさへの思いは、老いとともに深い詩情へと展開していった。

  梟も淋しいときは目をつぶる

  鳥帰る生きるといふは霞むなり

  夕暮れてひとり薺の花でゐる

  ひとりすする甘酒はかなしきもの

  虫つかぬみがきにしんを哀れがる

 死への思いにとらわれ、哲学書を耽読した時代もあったという。時には、不思議な世界を詠んだ。それは常に、異界への扉を意識していたためであろうか。

  猪食うてこの世の窓を開けに行く

  魔女になりたくて月光浴びて居る

  蓑虫も盥の水も謎の世ぞ

  寒卵こつんと他界晴れわたり

  蛙の夜眠りおくれし樹の会話

  崖清水燃えて泣く児を見おろしに

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