小谷由果の「歌舞伎由縁俳句」【第10回】近松門左衛門と俳句

近松門左衛門と俳句
近松の作品と言えるものが初めて資料に登場するのは、実は俳句である。

寛文11年(1671)、京都の俳人・山岡元隣の『宝蔵』に、近松門左衛門の俳句があらわれる。

しら雲やはななき山の恥かくし

近松はこの頃、山岡元隣に師事していた。そこで、縁語や掛詞を多用し故事や古典にもとづく言語遊戯を特徴とした貞門俳譜を学んだことが、のちの浄瑠璃作品の美文にも活かされている。

『曾根崎心中』の大詰、「曾根崎の森の場」の道行文は、特に名文として知られ、時の儒学者・荻生徂徠も絶賛した、と太田南畝の随筆「俗耳鼓吹」に書かれている。

(義太夫)
此の世の名残り夜も名残り
死ににゆく身をたとふれば
仇しが原の道の霜
一足づつに消えてゆく
夢の夢こそあはれなれ

(徳兵衛)
あれ数うれば暁の
七ツの時が六つなりて

(お初)
残る一つが今生の鐘の響きの聞きおさめ

そして最期は義太夫のこの結びである。

未来成仏疑ひなき
恋の手本となりにけり

この美文は、ほぼ七五調で構成されている。

なお、近松が「一足づつに消えてゆく」まで書いて難渋していたところに来合わせた、芭蕉の門人である伊勢の俳人・岩田涼菟が、「夢の夢こそはかなけれ」としてはどうか、と助言したという逸話がある。

「虚実皮膜」と『国宝』
近松と親交のあった儒学者の穂積以貫は、『難波土産』(元文3年(1738年))の中で、近松が穂積に語った言葉として聞き書きの形で「虚実皮膜(きょじつひにく)の論」を載録している。近松自身が芸術論を著述したものがないため、唯一の資料となっている。

「芸といふものは実と虚との皮膜の間にあるもの也」
「皮膜の間といふが此也。虚にして虚にあらず、実にして実にあらず、この間に慰みがあつたもの也」

つまり、「芸の真実は、虚(作りごと)と実(実際のこと)の微妙なはざまに存在するものだ」とする芸論である。

これは、今回の映画『国宝』にも最も強く感じられることである。実際の歌舞伎役者ではない、皆が知る現代の人気俳優である吉沢亮と横浜流星が、その圧倒的美貌と精神力、身体能力を研ぎ澄まして歌舞伎役者を演じる姿に、その所作や表情から大変な努力の跡を見るからこそ、その先の美しさを感じることができる。また原作の小説では、主人公の喜久雄が「1950年生まれの料亭の子」という設定が、実際の歌舞伎俳優で人間国宝の五代目坂東玉三郎と全く同じであるが、実際のストーリーは全く異なるもので、ただところどころその影を感じさせるものがある。同様に、伝統の型とは対極にいるともいえる舞踊家の田中泯が人間国宝の万菊を演じ、その姿は実在した人間国宝の六代目中村歌右衛門を彷彿とさせる。

映画『国宝』には、「虚実皮膜」が映像となって現出している。

映画未見の方はぜひ観ていただきたい。また、映画を観た方は実際の歌舞伎の舞台の歌舞伎役者の姿もぜひ観ていただきたい。空前の歌舞伎ブームが来ることを願っている。

<参考文献>
『名作歌舞伎全集 第一巻 近松門左衛門集 一』(昭和44年、東京創元社)

小谷由果


【執筆者プロフィール】
小谷由果(こたに・ゆか)
1981年埼玉県生まれ。2018年第九回北斗賞準賞、2022年第六回円錐新鋭作品賞白桃賞受賞、同年第三回蒼海賞受賞。「蒼海」所属、俳人協会会員。歌舞伎句会を随時開催。

(Xアカウント)
小谷由果:https://x.com/cotaniyuca
歌舞伎句会:https://x.com/kabukikukai


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