小谷由果の「歌舞伎由縁俳句」【第16回】三代目中村仲蔵=十四代目勘三郎の俳句

中村屋ゆかりの浅草を巡る
新春浅草歌舞伎の浅草公会堂に限らず、浅草と中村屋は大変縁が深い。
今回は猿若祭にあやかって、中村屋ゆかりの地を巡ってみる。

【旧浅草猿若町】


中村屋の始祖の猿若勘三郎は、1624年に中橋南地(現在の京橋付近)に猿若座として櫓を上げ、その後1651年に堺町(現在の日本橋人形町)に移転し、代々の勘三郎が座元として興行を続けていたが、1841年に失火で全焼。天保の改革によって再建を禁じられ、堺町(現在の日本橋人形町)から浅草聖天町(現在の浅草6丁目)へ移ることを命じられた。1842年、浅草聖天町は、猿若勘三郎の名にちなんで猿若町と改名された。

なお、前町名の「浅草聖天町」は、この近くに今もある「待乳山聖天」から名付けられた。


待乳山聖天の横には、「聖天町」の案内板があり、名所として「猿若三座跡地」も記されている。

【中村座跡】


中村座は現在の浅草6丁目にあったが、1893年(明治26年)に火災で消失しそのまま廃座となったため現存せず、今は跡地にオフィスビルやマンションが建っている。
オフィスビルの前に、小さな標識が立てられている。


この中村座跡の向かいには、歌舞伎の小道具を手がける「藤浪小道具株式会社」がある。


また、この隣の通りには、歌舞伎の楽器を手がける「宮本卯之助商店」もあり、芝居町の歴史がこの地で今も続いている。

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