たましいも母の背鰭も簾越し 石部明

たましいも母の背鰭も簾越し

石部明

やはり、一読驚くのは「母の背鰭」だろう。人間に「背鰭」がある;しかも身近な存在に。枯れ尾花を幽霊と見間違えるように「母」の何かを「背鰭」と見間違えたか、そもそも作中主体が「母」だと思い込んでいただけだったのか……。

このまま「母」の正体を考えても良かろうが、もう一つキーアイテムが存在する。「簾」だ。「簾越し」に「たましい」と「母の背鰭」が見えている。この世ならざるものを見せる「簾」なのである。

太古の日本では川や道が境界とみなされていた。軒から滴る雨垂れより内側が家の領域、というような話も民俗学をやっている友人から聞いたのだが、幾分酔っていたのでちゃんと覚えていない。ともあれ「簾」という境界を挟んであちらの「たましい」や「母の背鰭」が見えている。そういう機能としての「簾」である。

川柳に季語は必要ない。しかし、あらゆる選択肢の中から偶然、俳句の世界で季語だとされているものが詠まれることがある。柳人のほとんどは季語の本意を知らず、また本意に沿って使おうという意識もない。当然、季語は季語としてではなく、川柳の世界に適合するように意味や役割が変形され運用される。中には「変形」されていない句もあり、そういった句はかなり俳句としても読める。

水掻きのある手がふっと春の空  石部明

夜桜に点々と血をこぼしけり  海地大破

炎天の自転車疵に触れてくる  加藤久子

かぼちゃ割る軽い脳梗塞らしい 浪越靖政

雪無音 土偶は乳房尖らせて  滋野さち

『はじめまして現代川柳』に収録されている句から五句引いた。俳句に比べてどう書くか、という自由度が高い川柳は季語を季語らしく使うことも、使わないことも自由である(俳句もそうだろうと言われればそうなのだが)。「簾」を現実と異界の境界として使ってもいいし、冷蔵庫に相撲を取らせてもいい。より正確には、季語として使うことが選択肢にない。あくまで無数にある言葉のうちから偶然掴み取ったものなのである。「季語があるのに川柳?」という疑問への答えになっているだろうか。

(日比谷虚俊)


【執筆者プロフィール】
日比谷虚俊(ひびや・きょしゅん)
いぶき」所属、「楽園」同人、「銀竹」代表、現代俳句協会青年部所属。



【2025年9月のハイクノミカタ】
〔9月1日〕霧まとひをりぬ男も泣きやすし 清水径子
〔9月2日〕冷蔵庫どうし相撲をとりなさい 石田柊馬
〔9月3日〕葛の葉を黙読の目が追ひかける 鴇田智哉
〔9月4日〕職捨つる九月の海が股の下 黒岩徳将
〔9月5日〕ありのみの一糸まとはぬ甘さかな 松村史基
〔9月6日〕コスモスの風ぐせつけしまま生けて 和田華凛
〔9月7日〕秋や秋や晴れて出ているぼく恐い 平田修
〔9月8日〕戀の數ほど新米を零しけり 島田牙城
〔9月9日〕たましいも母の背鰭も簾越し 石部明
〔9月10日〕よそ行きをまだ脱がずゐる星月夜 西山ゆりこ

【2025年8月のハイクノミカタ】
〔8月1日〕苺まづ口にしショートケーキかな 高濱年尾
〔8月2日〕どうどうと山雨が嬲る山紫陽花 長谷川かな女
〔8月3日〕我が霜におどろきながら四十九へ 平田修
〔8月4日〕熱砂駆け行くは恋する者ならん 三好曲
〔8月5日〕筆先の紫紺の果ての夜光虫 有瀬こうこ
〔8月6日〕思ひ出も金魚の水も蒼を帯びぬ 中村草田男
〔8月7日〕広島や卵食ふ時口ひらく 西東三鬼
〔8月8日〕汗の人ギユーツと眼つむりけり 京極杞陽
〔8月9日〕やはらかき土に出くはす螇蚸かな 遠藤容代
〔8月10日〕無職快晴のトンボ今日どこへ行こう 平田修
〔8月11日〕天上の恋をうらやみ星祭 高橋淡路女
〔8月12日〕離職者が荷をまとめたる夜の秋 川原風人
〔8月13日〕ここ迄来てしまつて急な手紙書いてゐる 尾崎放哉
〔8月14日〕涼しき灯すゞしけれども哀しき灯 久保田万太郎
〔8月15日〕冷汗もかき本当の汗もかく 後藤立夫
〔8月16日〕おやすみ
〔8月17日〕ここを梅とし淵の淵にて晴れている 平田修
〔8月18日〕嘘も厭さよならも厭ひぐらしも 坊城俊樹
〔8月19日〕修道女の眼鏡ぎんぶち蔦かづら 木内縉太
〔8月20日〕涼新た昨日の傘を返しにゆく 津川絵理子
〔8月21日〕楡も墓も想像されて戦ぎけり 澤好摩
〔8月22日〕ここも又好きな景色に秋の海 稲畑汀子
〔8月23日〕山よりの日は金色に今年米 成田千空
〔8月24日〕天に地に鶺鴒の尾の触れずあり 本間まどか
〔8月26日〕天高し吹いてをるともをらぬとも 若杉朋哉
〔8月27日〕桃食うて煙草を喫うて一人旅 星野立子
〔8月28日〕足浸す流れかなかなまたかなかな ふけとしこ
〔8月29日〕優曇華や昨日の如き熱の中 石田波郷
〔8月29日〕ゆく春や心に秘めて育つもの 松尾いはほ
〔8月30日〕【林檎の本#4】『 言の葉配色辞典』 (インプレス刊、2024年)

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