うれしさの木の香草の香木の実の香 黒田杏子【季語=木の実(秋)】

うれしさの木の香草の香木の実の香

黒田杏子


ぽん、ぽん、と、どこまでも楽しく弾み続けるボールのような、軽快かつやさしいリズム。
何度も声に出して読みたくなる、ことばの流れがとても気持ちいい作品だ。

富安風生の名句〈よろこべばしきりに落つる木の実かな〉の無邪気さと、遠い親戚のような雰囲気もいい。あえて擬人化するならば、掲句は親戚のお姉さん的な立ち位置だろうか。

まずは〈木の香〉で三音、〈草の香〉の四音、最後に〈木の実の香〉で五音と、音を増やして重ねていく効果により、楽しく読み終えられる。一度読めば、すぐに誦じてしまいそうだ。

〈草の香〉も〈木の実〉も秋の季語だが、掲句は〈木の実〉に軸足があると読んだ。

〈草の香〉は古くは和歌の歌題で、〈草の香(こう)〉といえばかつてはミカン科の多年草ヘンルーダ草の類の香草を指していたと、本で読んだことがある。
ヘンルーダ草は虫除けにも利用されるハーブで、主張のある強い香りが特徴だ。歌題としての〈草の香(こう)〉から、近年は広く秋草の香りのことをいうようになった。

掲句の〈草の香〉は後者で、秋のさまざまな草の香りが入り混じっている印象を受ける。
どこにいてもわかる金木犀のような主張ではない、空間に馴染みきってしまうようなあの香りだ。

〈木の香〉に重ねるように置いた〈草の香〉から感じ取れるのは、だだっ広い秋の野原というよりも、点々と木の茂る森のような場所。足元の草を踏みながら進んでいくときの、あの気配を感じるような複合的でしっとりとした香りが、木の香りとどこかで混じり合う。

〈木の実の香〉とは、どんな香りだろう。
〈木の香〉に似た香り?まだ木にしがみついている方の木の実かもしれないし、落ちたあとの木の実を踏んだ感触を伴う香りかもしれない。
〈木の香〉と〈実の香〉は、実際のところ鋭い嗅覚で嗅ぎ分けられるものではないかもしれないが、それらが混じり合っている香りなら想像できる。
その空間にある、木や草や木の実の息づかいを、全部ひっくるめて嗅覚で捉えようとしているところが、掲句のリアリティでもあると思う。

その上五に、またもぽんっと置かれた〈うれしさの〉が、この句独特の“弾み”を、さらに軽快にしてくれる。
なんという素直な表現だろうか。
この〈うれしさの〉は、〈うれしさの香〉であり、〈うれしさの実〉であり、秋の森のうれしさでもある。
〈うれしさ〉も含めて、5つの〈の〉で構成されているところも眼目で、声に出したときの気持ち良さのようなものが、句の立ち姿にも現れている。
数珠を連ねるように並べられた“うれしさの香”が、秋の心地よさを嗅覚で捉えようとする心地となり、この句を読んだ人の感覚にまで、弾みながら伝わっていくのだろう。

目に見えない〈うれしさ〉があちこちに弾みまくった、なんともいえない多幸感が、読む人の感覚を満たしてくれる。
それが愛らしくて、楽しくて軽快で、でもどこか知的なところも見え隠れし、そして、うれしい。

うれしさの木の香草の香木の実の香 黒田杏子

句集『日光月光』所収。

後藤麻衣子


【執筆者プロフィール】
後藤麻衣子(ごとう・まいこ)
2020年より「蒼海俳句会」に所属。現代俳句協会会員。「全国俳誌協会 第4回新人賞 特別賞」受賞。俳句と文具が好きすぎて、俳句のための文具ブランド「句具」を2020年に立ち上げる。文具の企画・販売のほか、句具として俳句アンソロジー「句具ネプリ」の発行、誰でも参加できるWeb句会「句具句会」の開催、ワークショップの講師としても活動。三菱鉛筆オンラインレッスン「Lakit」クリエイター。
2024年より俳句作品を日本語カリグラフィーで描く「俳句カリグラフィー」を、《編む》名義でスタートし、haiku&calligraphy ZINE『編む vol.1』を発行。俳句ネプリ「メグルク」メンバー。
デザイン会社「株式会社COMULA」コピーライター、編集者。1983年、岐阜生まれ。

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