冬日くれぬ思ひ起こせや岩に牡蛎 萩原朔太郎【季語=冬日・牡蛎(冬)】

冬日くれぬ思ひ起こせや岩に牡蛎

萩原朔太郎


 作者は1886年群馬県生まれ、1942年没。詩人、評論家、小説家、歌人、俳人として広く活動した。青年期は俳句を好まなかったものの、後半生に伝統に回帰すると同時に興味を深め、研究の傍らで自身でも数句を残している。

 まず、景は冬の太陽が沈んでいる状況である。時間はまだ早いが、寒さが際立ってくる頃だ。そして作中主体は岩にのっぺりと張り付いた牡蛎を想起せよと呼びかけているのである。
 掲句は一見、中七の通り故郷(または心象風景)の回顧の印象が強いが、それぞれの表現をどう捉えるかによって魅力を感じる部分が変わってくる多面的な句である。掲句では想像を喚起している。ただ、何を読み取るかは全く任されているように思う。牡蛎の大きさか、小ささか、色形か、張り付く力強さか、またそれを人間に剥がされる無情か。作中主体の視線も多様に解釈できる。読者が能動的に感動することができる句と言えるだろう。

 掲句の下五は具体的に描写されているにも関わらず、無限の想像を働かせることができる。私は、特に晩年の萩原朔太郎作品に関して、しばしば風景写真のなかに名詞をひとつずつ書き込んでいるようだと感じている。眼前にあるものの具体的な名前を呼ぶと、対象が俄然活き活きとしはじめるという感覚を持つことは多いだろう。掲句は牡蛎と貝では大違いであるし、例えば鳥を鳥と書かずに尉鶲、鵯などと名前を書けば途端に鳴き声や色彩が見えてくる。
 
 ところで、物事を呼ぶための名前をたくさん知っている人には、創作者としての適性があるのではないかと常々思っている。創作とは関係なく出会った人からすらすらと動植物の名前が出てくるとき、いつも句作を勧めたい衝動に駆られる。
 創作の上で語彙力が必要なことは当然、初学者からベテランまで念頭にあるだろうが、初心者でも、ある分野で多くの名詞を実践的に体得している人たちは、創作向きであると考える(そもそも、創作を自らはじめる人は思想や知識の面でみななんらかの芯があるため、わざわざ述べることでもないが)。動植物博士はまさに季語への造詣がすばやく深められそうで羨ましいし、料理や農業、音楽に詳しい人はもちろんのこと、ファッション通やコンピューター通も唯一無二の強みがあることに憧れを感じる。そういった様々な分野で名詞をたくさん吸収してきた人たちは、未知の分野という波への乗りこなしかたも自然と身についていそうで心から尊敬する。彼らなりの関心の深め方、アンテナの張り方があるのだろう。
 特に何かを極めた自覚がなくても、人生の中で愛してきたものが作品に発現していくのだと思うとつくづく面白い。私自身は10代前半で創作を始めて今に至るまで自分の人間性の浅さに苦しんでいるが、ひとまずは、興味を持ったものを全力で愛おしむ人間でありたい。朔太郎の人生も波瀾万丈なものであったが、創作において不要な経験というものは存在しないのだろうとも思う。

(野城知里)


【執筆者プロフィール】
野城知里(のしろ・ちさと)
2002年埼玉生。梓俳句会会員、未来短歌会会員。第12回星野立子新人賞、第70回角川俳句賞佳作。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓



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