ハイクノミカタ

桜蘂ふる一生が見えてきて 岡本眸【季語=桜蘂ふる(春)】


桜蘂ふる一生が見えてきて

岡本 眸


窓から見える景色が、ところどころ紅(くれない)がかって来た。

もう、桜蘂降る頃か。。。

東京の桜は、ほんの数日の間に盛りを過ぎて、今ははらはらと紅の蘂を降らせている。

この頃になると、いつもこの句を思い出す。

「一生が見えてきて」とはどういう情景だろう。

作者がいつの歳に詠まれたのかは知らないのだが、若い頃の私は、恐らく齢を重ねた人、つまり晩年に近い年齢の感慨なのだと思っていた。

一生が見えてくるなんて、簡単には言えないように思えたからだ。

でも今は、また違った風景が見える。かつて思っていたよりも、これは意外に若い時の感慨なのではないだろうか、と。

例えば、三十代頃。その頃の自分の気持ちと、この句は不思議と重なる。

桜の木の一生を人生と重ね合わせても、桜蘂の降る頃は晩年ではない。

満開の花の頃を過ぎて、あまり美しいとは言えない桜蘂の頃の翳り。

葉桜となればまた新たな命が動き出すかのようにまぶしい季節が訪れる。その束の間の季節の憂いが、あの一語を引き出したのではないか。

夢見る季節は過ぎてしまった。

一生が見えないということは不安だが、見えてしまうということはもっと淋しい。

日下野由季


【日下野由季のバックナンバー】
>>〔26〕さへづりのだんだん吾を容れにけり  石田郷子
>>〔25〕父がまづ走つてみたり風車       矢島渚男
>>〔24〕人はみななにかにはげみ初桜    深見けん二
>>〔23〕妻の遺品ならざるはなし春星も    右城暮石
>>〔22〕軋みつつ花束となるチューリップ  津川絵理子
>>〔21〕来て見ればほゝけちらして猫柳    細見綾子
>>〔20〕氷に上る魚木に登る童かな      鷹羽狩行
>>〔19〕紅梅や凍えたる手のおきどころ    竹久夢二
>>〔18〕叱られて目をつぶる猫春隣    久保田万太郎
>>〔17〕水仙や古鏡の如く花をかかぐ    松本たかし
>>〔16〕此木戸や錠のさされて冬の月       其角
>>〔15〕松過ぎの一日二日水の如       川崎展宏 
>>〔14〕いづくともなき合掌や初御空     中村汀女
>>〔13〕数へ日を二人で数へ始めけり     矢野玲奈
>>〔12〕うつくしき羽子板市や買はで過ぐ   高浜虚子
>>〔11〕てつぺんにまたすくひ足す落葉焚   藺草慶子
>>〔10〕大空に伸び傾ける冬木かな      高浜虚子
>>〔9〕あたたかき十一月もすみにけり   中村草田男
>>〔8〕いつの間に昼の月出て冬の空     内藤鳴雪
>>〔7〕逢へば短日人しれず得ししづけさも  野澤節子
>>〔6〕冬と云ふ口笛を吹くやうにフユ    川崎展宏
>>〔5〕夕づつにまつ毛澄みゆく冬よ来よ  千代田葛彦
>>〔4〕団栗の二つであふれ吾子の手は    今瀬剛一
>>〔3〕好きな繪の賣れずにあれば草紅葉   田中裕明
>>〔2〕流星も入れてドロップ缶に蓋      今井 聖
>>〔1〕渡り鳥はるかなるとき光りけり    川口重美


【執筆者プロフィール】
日下野由季(ひがの・ゆき)
1977年東京生まれ。「海」編集長。第17回山本健吉評論賞、第42回俳人協会新人賞(第二句集『馥郁』)受賞。著書に句集『祈りの天』『4週間でつくるはじめてのやさしい俳句練習帖』(監修)、『春夏秋冬を楽しむ俳句歳時記』(監修)。



【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly

関連記事

  1. 美しき緑走れり夏料理 星野立子【季語=夏料理(夏)】
  2. 一瞬の雪墜のひかり地にとどく 真島楓葉子【季語=雪墜(冬)】
  3. 「十六夜ネ」といった女と別れけり 永六輔【季語=十六夜(秋)】
  4. 河よりもときどき深く月浴びる 森央ミモザ【季語=月(秋)】
  5. 本の背は金の文字押し胡麻の花 田中裕明【季語=胡麻の花(夏)】
  6. 子規逝くや十七日の月明に 高浜虚子【季語=月明(秋)】
  7. 来て見ればほゝけちらして猫柳 細見綾子【季語=猫柳(春)】
  8. 黄金週間屋上に鳥居ひとつ 松本てふこ【季語=黄金週間(夏)】

おすすめ記事

  1. 【春の季語】余寒
  2. 【春の季語】白魚
  3. 【春の季語】春分
  4. 【連載】加島正浩「震災俳句を読み直す」第10回(最終回)
  5. 瀧壺を離れし水に歩を合はす 藤木倶子【季語=滝(夏)】
  6. 神保町に銀漢亭があったころ【第79回】佐怒賀直美
  7. 手袋に切符一人に戻りたる 浅川芳直【季語=手袋(冬)】
  8. 俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【番外ー5】 北九州市・八幡と山口誓子
  9. 皹といふいたさうな言葉かな 富安風生【季語=皹(冬)】
  10. 俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【第66回】 秩父・長瀞と馬場移公子

Pickup記事

  1. 俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【第11回】三田と清崎敏郎
  2. 二十世紀なり列国に御慶申す也 尾崎紅葉【季語=御慶(新年)】
  3. 牛日や駅弁を買いディスク買い 木村美智子【季語=牛日(新年)】
  4. 夏が淋しいジャングルジムを揺らす 五十嵐秀彦【季語=夏(夏)】
  5. 自転車の片足大地春惜しむ 松下道臣【季語=春惜しむ(春)】
  6. 初花や竹の奥より朝日かげ    川端茅舎【季語=初花(春)】
  7. 神保町に銀漢亭があったころ【第26回】千倉由穂
  8. なにがなし善きこと言はな復活祭 野澤節子【季語=復活祭(春)】
  9. 街坂に雁見て息をゆたかにす 福永耕二【季語=雁(秋)】
  10. 南浦和のダリヤを仮のあはれとす 摂津幸彦【季語=ダリヤ(夏)】
PAGE TOP