妻の遺品ならざるはなし春星も
右城暮石
ここのところ、何となく物憂い気持ちで過ごしている。
春の気怠さだろうか、と思っていたのだが、そうではなくて、あの日が近づいているからなのだ、と思った。
三月十一日。
東日本大震災からもうすぐ十年が経つ。あの日以来、三月は深く、失われたものを悼む月になった。
この句は震災の句ではないけれど、人の死、というものを考えていたら、ふと目にとまって、そこから離れられなくなった。
妻の遺品ならざるはなし春星も
「春星」さえも妻の遺品である、という作者の心が切ないのだが、でも、なぜか、ただ悲しみに暮れているだけではない思いも少し感じて、妻を悼む思いが、あたたかく心に沁みてくるのである。
生前、妻と春の夜空を見上げて、語らったことがあったのだろう。妻を悼みつつ、妻に寄り添っている、そんな作者の姿が目に浮かんできた。
(日下野由季)
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【執筆者プロフィール】
日下野由季(ひがの・ゆき)
1977年東京生まれ。「海」編集長。第17回山本健吉評論賞、第42回俳人協会新人賞(第二句集『馥郁』)受賞。著書に句集『祈りの天』、『4週間でつくるはじめてのやさしい俳句練習帖』(監修)、『春夏秋冬を楽しむ俳句歳時記』(監修)。
【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】