
【読者参加型】
コンゲツノハイクを読む
【2025年11月分】
月末の恒例行事!「コンゲツノハイク」から推しの1句を選んで200字評を投稿できる読者参加型コーナーです。今月は10名の皆様にご参加いただきました。ありがとうございます!
できたよと呼びて素麺茹で始む
岡 雲平
「noi」
2025年10月号より
素麵はすぐ茹ってしまうので、大人数でいつもなかなか全員揃わないので、こういう作戦を考えついたのでしょう。インドネシアでは現地で良く取れるゴムをなぞらえて、ゴム時間という言葉があるのですが、会社でのミーティング、友達との誕生会、結婚式、学校の行事などまず時間通りに始まりません。暑い国の国民性でしょうが、揚句はそんな夏の気怠い感じが伝わります。
(慢鱚/「俳句大学」)
先生さやうなら又来年の猛暑日に
吉田からたち
「麒麟」
2025年秋号より
口語体の「先生さやうなら」で始まる導入が絶妙。子どもたちの挨拶のように始まるこの挨拶の自然さと、俳句には珍しい〈未来の季語〉の時間構造のねじれが情感を拡げていく。本日は暑い暑い猛暑日。そして、来年の同じ日にまた先生と会おうと告げる。これは来年まで元気で生きて会おうという再会の約束の句であろうか。いや、師の命日なのだろう。そう思って読むと、猛暑日に亡くなり、毎年猛暑日に会いにくる、そんな師弟関係や師の人となりまで垣間見えてくる。「暑さ」を約束の場とすることで、毎年師を振り返る、抒情にあふれた秀句だ。
(押見げばげば)
点滴の雫に銀河永遠に澄み
鷲巣正徳
「街」
2025年10月号より
点滴の一滴ずつが規則正しく落ちる、そのむこうにある時間はすべての生き物に平等。生者は本当のところいつも死者の隣にいるのに、それを普段は忘れている。生きている時、その一滴の膨らみ落ちる瞬間、時間にはそれぞれの喜び悲しみ痛みがあり、またそれは善き事もしくは悪事をなす時間かもとも。そのいずれ、たとえそれが激痛や悪事を働く時であっても、それは澄んだ美しい銀河を形成する一欠片であり、その瞬間にさえ、星ぼしのなかには無数のはじまりと終わりが詰め込まれている。そのゆっくりと膨らんで落ちる時間を「永遠に」と見つめる作者の視線の余すところなく、心打つ作品と思います。
(haruwo/「麒麟」)
父くれし一万円や鰻食へと
田中木江
「麒麟」
2025年秋号より
父が「鰻でも食べろよ」と言ってこの人へ一万円札を手渡す場面を思い浮かべた。「一万円や」と、詠嘆が一万円にかかるのが大袈裟で俳諧味がある。最後の「鰻食へと」が父のセリフになっていて、種明かしの気持ちよさがある。不器用な父と子といった雰囲気を感じる。実際の父にはいろいろと思うところがあるが、こうして俳句にすると、まあまあいい父だなと思えることがわたしにはある。家族を詠む句はいいなぁと思う。
(千野千佳/「蒼海」)
老いの身の力としたる心太
伊藤伊那男
「銀漢」
2025年11月号より
2020年5月に閉店した「銀漢亭」。店内に展示していただいた、「写真とコトノハ展 Vol.13」2019年9月の打ち上げで行ったのが最後となった。私自身もそうであるが、ここでの想い出はそれぞれの方の財産。セクト・ポクリットの立ち上げ自体、「神保町に銀漢亭があったころ」が元になっていると、堀切克洋氏のあとがきにもある。雨男として知られる伊那男さん、故郷の時雨を天上より見守っていることであろう。ご冥福をお祈りいたします。
(野島正則/「青垣」「平」「noi」)
気おくれの吾に一振りオーデコロン
村上みちこ
「鳰の子」
2025年10・11月号より
私自身、娘の保育園の送り迎えさえも気おくれして、最近は迎えに行く前に、好きなアロマの香りを嗅いでいる。そのため、掲句を一読して我がことのように感じた。身支度を整えた作者が向かう場所はわからないが、「オーデコロン」からドレスコードのある場所を想像した。いつもよりドレスアップして、オーデコロンを一振り。香りを吸いこむと、ふっと心がほどけ背筋が伸びる。そうして少しの自信を得て、ふだん行かない特別な場所でも、落ち着いて過ごせる。音読してみると、「オーデコロン」の軽やかな響きが楽しい。何度も口にするうちに、すっかり暗誦してしまった一句。
(さざなみ葉/「いぶき」)
計量の針のふるへや豊の秋
松尾一子
「樺の芽」
第54巻第11号より
いまどきの「デジタルスケール」とは異なり、目盛と針をもつ計量器は(上皿はかり、アナログ計量器)、上皿にモノを置くと当然針が振れる。その振れは微細で、まさに「ふるへ」。目盛を覗き込み、針を一心に見つめる自分の様子が、掲句から見事に思い出された。「豊の秋」は、基本的には五穀、特に米の豊作の年を表す季語ではあるものの、果物や野菜なども豊かな季節。食事の支度にも楽しさが増す時期である。しっかりと計量器を使いながらの、丁寧な暮らしぶりが見える日常詠にとても魅かれた。
(卯月紫乃/「南風」)
鰻裂く壁の皇室カレンダー
太田うさぎ
「街」
2025年10月号より
鰻屋の厨房で鰻を捌く場面が詠まれているのか、もしくは自宅で調理するところが詠まれているか定かではないが、「鰻」というだけで幸福な時間が約束されているとは言える。しかも「カレンダー」のなかでは「皇室」の方々が幸福な笑顔を浮かべておられるに違いない。「鰻」によってもたらされる幸福と「皇室」によってもたらされる幸福とが、若干せめぎ合っているように感じるのは何故だろう。ともに血の存在を想像してしまうからかもしれない。血を流すことによって得られる幸福と血を守ることによって得られる幸福とがどうもうまく収まらない。取り合わせの絶妙な一句です。
(加能雅臣/「河」)
誰が為に水羊羹の冷やしある
菅原好隆
「かつらぎ」
2025年10月号より
冷蔵庫を開けるたび、水羊羹が目に留まる。水羊羹はおそらくひとつしかないのだろう。何人かの家族と一緒に暮らしているのではなく、二人で暮らしているのではないか。水羊羹がひとつしかない状況がめったにないことなのだと読んだ。一緒に暮らすあの人は、普段水羊羹を買ったりしない。もし買ったとしても、二人分買ってくるはずなのだ。この水羊羹を確認するためにだけ冷蔵庫を開けたりしていそうである。考えれば考えるほど、ひとつしかない水羊羹が気になる。それが「誰が為」という措辞に込められている。「ある」も良い。動かしがたい事実がまさに自分の目の前にあるのだ。しかし水羊羹そのものは食べればなめらかでつるんとさっぱり、今は冷蔵庫の中でただ、冷えている。考えこんでいる物言いとの対比がおもしろい。
(弦石マキ/「蒼海」)
満月や人消ゆるとき垂直に
あをい朝日
「河」
2025年10月号より
月光を浴びて、ランダムストライプ状に掠れ、線となって消えてゆく。あるいは異次元にすとんと落下するか上昇して消える。それとも時空に霧消したのか。水平ではなく垂直に消滅する美学。ファンタジックな映像が暗喩する、ある種の清潔な寂しさは、たぶん「消ゆる」からだろう。微かな残像もすぐに失せ、後には何も残らない、皓々として清らかな闇の静寂に満たされている。
(小松敦/「海原」)

【次回の投稿のご案内】
◆応募締切=2025年11月30日
*対象は原則として2025年11月中に発刊された俳句結社誌・同人誌です。刊行日が締切直後の場合は、ご相談ください。
◆配信予定=2025年12月5日ごろ
◆投稿先 以下のフォームからご投稿ください。
https://ws.formzu.net/dist/S21988499/
