石よりも固くなりたき新松子
後藤比奈夫
「新松子」は「しんちぢり」と読む。その年に新しくできた松笠のこと。つまりは、松ぼっくりのニューカマーのこと。
この夏のバカンスで、ボルドーに出かけたときに、サッカーボールほどの大きさの松ぼっくりがあって、本当に驚いた。
そういう大きな松笠では顕著だが、成長してくると、だんだん鱗片が広がってくるし、雨を吸い込んだりしたりもする。一方で「新松子」は、びっしりと小さな鱗片を閉ざしているので、「石よりも固くなりたき」と言われてみると、妙に納得してしまう。
「子」という字が入っているせいか、ちょっと童話的な世界観の句である。
「ちちり」という言葉を辞書でひくと、「ちちりん」「ちんちら」なんて言い方まで載っている。「ちちりん」って、あだ名みたいで可愛すぎるぞ。
こういうワーディングは、サッカーボール大の松ぼっくりが存在している世界では、絶対に生まれない。
しかし不思議なのは、「松ぼくり」という言葉が、それほど俳句では使われないということだ。あるにはあるが、それほど多くはないと思う。
涼しさやほたりほたりと松ふぐり 正岡子規
子規の句だが、子規が「松ふぐり」で句を作っているのは、これ一句のみ。「ぼくり」は「ふぐり」が訛ったもので、要は陰嚢のことですね。「ほたりほたり」というのは、なんだか自分の陰嚢のことを詠んでいるようで、おかしい。
しかし、これだけ陰嚢を「かわいく」してしまうのは、おそろしい文化だ。「犬ふぐり」にしてもそう。どこか、「ろくでなし子」にまで通じるところがある。
松ふぐり見えてかゝりぬ春の月 鈴木花蓑
こちらは花蓑の句。『言海』には「松ふぐり」も立項されていたようなので、ある時期までは、けっして通用していたのでしょう。春のぼんやりとした月の明るさに照らされている「ふぐり」には、それほど性的なニュアンスは感じられない。
掃初や熊手にかかる松ふぐり 渡辺水巴
行く年や焚火に蹴こむ松ぼくり 石塚友二
こんなふうに「松ぼくり/ふぐり」は地面に落ちてしまうと、もはや性的コノテーションは雲散霧消し、無性に蹴りたくなったり、拾いたくなったりするもの。「松笠蹴る」「松笠拾ふ」「松笠掃く」というような冬の季語があってもよさそうだ。そんなのないけれど。
しかし、松ぼっくりをめぐるイメージの重なり合いからすれば、やはり「ふぐり」と呼ばれていた松笠の子供が、「石よりも固くなりたき」というのは、なんだかおかしい。なぜなら陰嚢は、男性の体のなかで、もっとも柔らかい部分だからである。
と同時に、その周辺にある部位が、「石よりも固くなりたき」というのは、しばしば中年の男性の悩みごとでもある。ちなみにこの句、後藤比奈夫が1973年につくっている句。1917年生まれだから、50代のときの句だ。
そう思うと、必ずしも童話的なかわいい句、というわけでもなさそうだ。
いやいや、童話というのは一見子供向けの話だが、よくよく考えてみると「大人の話」だったりするわけで、その意味ではやはり童話的なのかもしれない。
『祇園守』(1977年)より引いてみた。
(堀切克洋)