猫じゃらし全部さわって二年生
小川弘子
歳時記には「狗尾草」や「ゑのこ草」という古風な言い方が幅をきかせているが、日常的には圧倒的に「猫じゃらし」である。つまり、犬から猫へのレジームチェンジがおきている。
そんなことはどうでもよくて、この句、やっぱり「二年生」が面白い。
では、なぜ「一年生」ではダメなのかといわれると、語呂が悪いということもあるが、やはり「全部」という言葉と「一」という言葉が合わないのである。
では、なぜ「三年生」ではダメなのかといわれると、これまたリズムが悪いということもあるが、この学年になると、急に大人びる(あるいは、勉強がすごくできてしまう/できなくなる)子供が増える。ギャングエイジのはじまりである。いろいろな意味で差がつきはじめる年なので、「三年生」はやはり説得力に欠けるのだ。
「二年生」、一見すると中途半端な面白さを狙っているようでいて、これがまったく動かないのである。もちろん、この子は紫陽花でも同じことをやるのだろうし、スーパーなどでは野菜や果物に触って親を困らせるのだろうけど、俳句的には「猫をじゃらす」ための草、というところでこれまた季語が動かない。
猫のように「じゃらされている」二年生の男の子、あるいは女の子。そのあふれる好奇心は、秋風の吹くままにある。
(堀切克洋)
【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】