【新連載】
新しい短歌をさがして
【2】
服部崇
(「心の花」同人)
先月から新しくスタートした、歌人・服部崇さんによる「新しい短歌をさがして」。アメリカ、フランス、京都そして台湾へと動きつづける崇さん。日本国内だけではなく、既存の形式にとらわれない世界各地の短歌に思いを馳せてゆく時評/エッセイです。毎月第1日曜日に配信。
蜃気楼
雁部貞夫は歌人であるとともに登山家である。2019年に出版された自選歌集『わがヒマラヤ』(青磁社、2019)には若い時からの15回に及ぶヒマラヤや西域を訪れた際の数々の歌がおさめられていた。第一歌集から最近の歌集に至るまでヒンドゥ・ラジ山群の最高峰「コヨ・ゾム」が詠われた。そして、1968年にこの山をともに訪れたふたりの友人を亡くしたことが繰り返し詠われる。このことは雁部のその後の人生に多大な影響を及ぼし続けてきたに違いない。
・時おきてザイルは強く我が掌引く君の呼吸を伝ふるがごと 雁部貞夫『崑崙行』
・行方絶ちし友らの名をば呼ばひつつ凍てし氷河にひとり立ちゐつ 同上
・このオアシスに君の残せる氷斧あり二十年へて保つ光りか 同上
1首目、登山時にザイルでつながれたもうひとりの登山者の動きが伝わってくる。2首目、行方不明となった友人の名を呼びながら氷河に立つ作者。私なら、もう2度と登山はしない、と思うかもしれないが、そうならないのが登山家だろうか。この地を再訪しなければならないという思いは理解できるような気がする。友人を亡くした2年後の1987年にこの地を再訪し、遺品を回収している。「氷斧」の冷えた鋭さと20年の年月の重みが冴えざえとした感じを生む。
今回、雁部の第七歌集『夜祭りのあと』(青磁社、2022)を読んだ。登山家、旅行家としての雁部がこの歌集でも垣間見えたことがうれしい。「蜃気楼」と題された連より引く。作者はトルファンの沙漠の地をジープで進んでゆく。
トルファンは海面よりも低き土地ジープの蔭に熱風を避く 雁部貞夫『夜祭りのあと』
突つぱしるジープは沙漠のど真中行く手阻むは水かげろふか 同上
食ひ終へし哈密瓜の皮は地に伏せよ沙漠旅する心得ひとつ 同上
終の水欲りて駱駝は食らふべし瓜や西瓜の皮といへども 同上
1首目の熱風、2首目の水陽炎などが沙漠の地がもたらす暑さや渇きの度合いを読者に伝えている。3首目、沙漠を旅する際の心得として、ハミウリの皮は地に伏せること、ということがあるらしい。4首目、それはのちに来るラクダのために行われるらしい。
人はなぜ山に登るのかという問いとそれに対する様々な答えが用意されてきた。たとえば、イギリスの登山家ジョージ・マロリーは「そこに山があるからだ」と言ったらしい。ニュージーランドの登山家エドモンド・ヒラリーは「征服すべきは山の頂きではなく、自分自身だ」と言ったらしい。どちらも私にはしっくりこない。雁部貞夫が歌にしたように、ラクダのためにハミウリの皮を地に伏せておくことの方が大切なような気が私にはしている。
【執筆者プロフィール】
服部崇(はっとり・たかし)
「心の花」所属。居場所が定まらず、あちこちをふらふらしている。パリに住んでいたときには「パリ短歌クラブ」を発足させた。その後、東京、京都と居を移しつつも、2020年まで「パリ短歌」の編集を続けた。歌集『ドードー鳥の骨――巴里歌篇』(2017、ながらみ書房)、第二歌集『新しい生活様式』(2022、ながらみ書房)。
Twitter:@TakashiHattori0
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