ソーダ水方程式を濡らしけり
小川軽舟
俳句は省略だとよくいわれるが、実は俳句は「比喩」でもある。この句でいうと、「方程式」が書かれた紙(ノートでも問題集でもいい)の「紙」が省略されたことで、方程式そのものがソーダ水で濡れてしまったように錯覚させるところが、ミソである。
現実には、「方程式」はロジックの一種であるから、本当は「濡らす」ことはできない。しかし、濡れてふやふやになった数式は、どこかたよりなく、代数的論理の絶対性のようなものまで、足場を失っているようだ。
「ソーダ水」だから、息子に勉強を教えている光景かもしれない。こぼしたのも息子だとするなら、おいおい何やってんだ、という作者(父親)の気持ちが浮かぶ一方で、そのように息子に勉強を教える機会自体が、炭酸水のようにはかなく、父親として愛しんでいるようにも思えてくる。
『近所』(2001)より。(堀切克洋)
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