【第1回】森の家

【第1回】
森の家


 軽井沢の「森の家」といえば、

泉への道後れ行く安けさよ 石田波郷

で有名である。軽井沢で詠まれた句として世に名高いが、このとき滞在したのが、「森の家」である。「森の家」とは、堀口星眠が軽井沢に借りた別荘で、大島民郎ら馬酔木のメンバーとここで詠まれた句は、いわゆる高原俳句として知られている。

 ところで、「森の家」については堀口星眠の自註によれば、「医局の仲間」と借りた家とある。堀口星眠(慶次)は昭和22年に東大病院物療内科(物内)に入局した。物内は20世紀初頭に物理学の進歩を踏まえ「物理を活用して医療を行う」というコンセプトで発足した医局であり、堀口博士も人体に電流を流して、アトロピン(薬剤)を投与して皮膚電気抵抗の変化を調べる研究を行っていたようで、学位論文や当時の学会発表抄録が残されている。「森の家」は、当初は物内の医局員と共同で借りた家だった。

夏痩せてゆふすげ淡き野にきたる 堀口星眠

 ゆうすげは軽井沢の至るところでみられる花である。美智子上皇后さまの歌にも「夕暮れに浅間黄すげの群れ咲きてかの山すその避暑地思ほゆ」との御歌があり、軽井沢を思わせる花である。星眠の句の解説には、医局の仲間と歩いたとあり、「森の家」は物内医局員の避暑地としても使われていたようだ。昭和27年のことである。

(庄田ひろふみ)


【執筆者プロフィール】
庄田 ひろふみ(しょうだ・ひろふみ)
昭和51年生、平成11年より天為同人
令和7年 一句集「聖河」上梓



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