ミャンマーを思う


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アゴラ・ポクリット
【#2】
ミャンマーを思う

矢野峻行(春行士)


ミャンマー国軍によるクーデター(軍は憲法に基づく行為としているが)が起きて三か月が過ぎた。経営コンサルタントとしてここ八年あまりミャンマーに関わってきた私にとって毎日落ち着いた気持になれない日々が続いている。

私の名前、峻行(たかゆき)は昭和19年2月から旧日本陸軍が始めたインパール作戦で「帝国陸軍けふもビルマの峻嶮をゆく」という新聞の見出しから付けたのだと父から聞かされた。それでビルマは子供のころから一度行ってみたいと思い続けていた国である。銀行の仕事で海外を駆けずり回っていたがビルマは長い間鎖国政策を続けており若かった銀行時代には願いはかなえられなかった。「ビルマの竪琴」の小説や映画でビルマに親しみを持つ日本人は多いことと思う。1989年に国名は多民族の団結を誓ってミャンマーとなった。

名前の由来の縁なのか、ひょんな偶然から日本の中小企業のミャンマー進出(輸出入取引や現地法人設立など)のお手伝いをすることとなった。首都ネピドー、経済・商業の中心地ヤンゴンや地方の農村、工業団地を訪れ、仕事とは言いながらも友人が出来、その家族とも親交が深まっていった。その中には子供のころ日本軍の戦車に乗せてもらったという老技術者もいた。知り合ったすべての人が日本大好き人間である。

若い起業家たちとグループワーク(左が矢野さん)

日本陸軍はインパール方面に攻め込んで行ったがビルマ国内では戦闘はほとんど無く、戦っていた相手は英国軍と山岳部の天候と疫病とであった。ビルマ人はむしろ日本軍の負傷者や病人を助けてくれていた。戦後ビルマに残った日本人は英国からのビルマ独立のために一緒に戦った仲間でもあった。日本のことを好きな家庭が多いということは子供のころから日本への憧れを持つ人も多く、日本への留学生も多い。日本語学校は近年おびただしい数で開校されている。

戦後日本は食糧難の時代にビルマからの輸入米で一息ついたこともあった。日本が経済成長を果たし対外援助に乗り出したころにはミャンマーは軍政時代であり、日本からの援助は凍結されていたが民主化が進むにつれ日本のミャンマーへのODAや二国間援助額で常に国別で上位にランクされている。インフラの開発援助だけではなく、ジャイカの外郭団体などが日本の大学・大学院のカリキュラム、ビジネススクールの講座など日本人講師を呼んでミャンマー国内で開いたり、ミャンマーの若い起業家を日本に招いて日本の最新ノウハウを学んでもらっている。

私も2018年~19年にヤンゴンとマンダレーでビジネススクールの講師を務めた。20代30代男女の受講生、ひとクラス30人ほどであったがみんな目をキラキラさせて聞き入っていた。明治維新や戦後の成功例だけでなく、足尾銅山や水俣病のような成長の裏にある環境破壊やそれらの解決に立ち上がった人たちの話を興味深く学び、また江戸時代はなぜ平和で庶民に文化が芽生えたのかなど質問攻めにもあった。日本の童謡や俳句まで講義したら大喜びであった。あの生き生きとした顔を思い出し無事を祈るばかりである。

ビジネススクール受講生と一緒に

受講生の出身地は様々であった。ミャンマーは135もの民族の連合国である。カチン族、カレン族などはビルマ族が中心の国軍と衝突することも度々あるが私のクラスは個人をそれぞれ尊重していた。グループワークがあったのでよくわかった。今、国軍が民衆に発砲して死者が出ているが民族の問題が根底にあると思う。ミャンマー人の友人とLINEやFacebookで現在も交流があるが本音を発信しにくい状況が行間で伝わってくる。しかし、さすがに民衆に発砲し、死者が出たことには抗議している。

明るい未来を信じてきれいな瞳で受講していた彼、彼女たちを思うと、国軍の中でも融和的なリーダーの出現、日本がまとめ役を果たすような国連の働きが一刻も早く望まれる。

日緬合弁のコンクリート工場完成式典

【執筆者プロフィール】
矢野峻行(やの・たかゆき)
1944年、山梨県生まれ。俳号・矢野春行士(しゅんこうし)。「玉藻」同人。「雲母」同人だった父、長兄、伯父の影響で幼少より俳句は生活の一部。合同句集『遊星』『遊星Ⅱ』『五色』『千』、『俳人選集 玉藻』




【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】


<ミャンマーの2021年クーデターをめぐる流れ>

2020年11月8日 ミャンマー連邦議会の総選挙
 →与党・国民民主連盟(NLD)が前回(2015年)の選挙を上回る396議席を獲得し、改選議席476議席のうち8割を確保。対立する国軍系の野党・連邦団結発展党(USDP)からは不正・再選挙の声があがる

2021年1月26日 国軍がクーデターを示唆、緊張高まる
 →選挙管理委員会は総選挙の公正性を主張、国連やEUは選挙結果の尊重をミャンマー軍に呼び掛け

2021年2月1日 総選挙後初の議会が開かれる日の未明、クーデターが起こる
 →国軍はウィンミン大統領、アウンサンスーチー国家顧問、NLD幹部、NLD出身の地方政府トップら45人以上の身柄を拘束、以後政権を掌握。市民デモが起こる

2021年3月8日 インディペンデント系のメディア規制
 →国軍は国内5社の独立系メディアの免許を剝奪

2021年3月23日 インターネット規制強化、中国との関係強化
 → 国軍はデモの「暴力化」を受けてインターネット規制強化を発表。また、中国を含む近隣5か国と関係を強化、および欧米の制裁への反発という方針へ

2021年3月27日(国軍記念日) 市民デモ激化
 →1945年に抗日武装蜂起が発生した記念日当日、軍と市民の衝突が激化。国内40カ所以上で軍による発砲が行われ、100人以上が死亡

2021年4月10日 競泳ミャンマー代表が、五輪辞退
 → 競泳男子自由形のウィン・テット・ウー(26)が自身のフェイスブックで「軍部のプロパガンダに利用」されることを懸念して五輪辞退を表明

2021年4月17日 ヤンゴンで爆発事件
 →最大都市ヤンゴンで爆発事件が発生し、兵士1人が死亡、数人が負傷

2021年4月18日 日本人ジャーナリスト拘束
 → ミャンマーで取材を行っていた北角裕樹さんが「うその情報を流した疑い」などでミャンマーの治安当局に拘束

2021年4月24日 ASEAN首脳級会議、暴力の即時停止を求める
 → ASEAN加盟国首脳はミャンマー国内での暴力的な取り締まりをやめるよう求め、対話仲介の特使派遣など合意。2月以降、700人以上が殺害され、数千人が拘束されている。

2021年4月30日 国連安保理 ASEAN合意に賛同
 →国連の安全保障理事会は、ASEAN首脳級会議で合意した暴力の即時停止を受け、速やかに実行するよう求める談話を発表

2021年5月2日 世界一斉デモ
 → 世界各地に住むミャンマー人らが一斉に国軍への抗議活動、日本でも東京、名古屋、神戸など各地で行われる

2021年5月3日 北角裕樹さん起訴
 → 収監中のフリージャーナリスト北角裕樹さんが「虚偽のニュース」を広めた罪と入国管理法違反罪で起訴。G7外相会合出席中の茂木敏充外相は「日本人拘束者の早期解放に向けて全力を挙げて取り組んでいきたい」と談話を発表。
 

<ミャンマーをめぐる報道>
・水島了「進む自衛隊とミャンマー国軍の将官級交流 クーデター首謀者も3度来日、安倍首相と会談」(Newsweek 2021年5月4日)
・「ミャンマーの五輪辞退スイマー、ウィン・テット・ウーが語る辞退の理由」(日刊スポーツ 2021年5月4日)
・「ASEAN、ミャンマー軍に暴力の停止求める 対話仲介の特使派遣など合意」(BBC 2021年4月26日)

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