神保町に銀漢亭があったころ【第96回】中島憲武

チカチカ青い星

中嶋憲武(「炎環」「豆の木」)

銀漢亭の名を初めて耳にしたのは、2008年くらいであったろうか。所属する結社炎環の三輪初子さんがヘルプに行っているという話を聞いて、なんかこう、キラキラする店内の景、青い小さな光が天井を伝っている店のカウンターに立つ初子さんその人を想像していた。銀漢亭というネーミングが、そんな風景を想像させたのだろう。でも行ってみる気にはならなかった。俺は僕は酒が飲めないし、酒を飲んでる連中の雰囲気があまり好きではないし、かつ、人見知りで、てんで社交的ではない内向的な暗い性格だからなのだ。どちらかというとコーヒーでケーキなタイプ。よしんば誰かが誘ってくれたとしても、すぐに帰るだろうと踏んでいた。

銀漢亭は、僕にとってはM78星雲のごとき遠い天体のような存在と思っていたある日のこと、わが結社炎環の柏柳明子さんが現代俳句協会新人賞を受賞されたので、お祝いの会を銀漢亭で開催するので参加してくれろというお誘いを受けた。それは2012年の晩秋のことで、それが銀漢亭へ初めて足を踏み入れた日となった。

お店の雰囲気は、夢想していた通り青い星がチカチカと瞬いていて、飲めない僕でも店主の伊那男さんはにこにこと迎え入れてくれ、なんだか居心地がいい。幾らでも通えちゃうって感じ、と思ったが、飲めない僕は客単価が低いので迷惑なんじゃないかなどと、勝手に決め込んでしまって、通うまでには至らなかった。

その翌年、翌々年、さらに翌々年と炎環から近恵さん山岸由佳さん、宮本佳世乃さんが現代俳句協会新人賞を受賞、そのたびにお祝いの会を銀漢亭で開催する事となり、だんだん親しみが湧いて来た。聞けば、初子さんをはじめ阪西敦子さん太田うさぎさんも月替わりで店員としてカウンターに立っているという。アルパカの会という句会も開かれているらしい。来ちゃおっかなと思い立ち、勇気を出して会社の帰りに寄ってみようと足を向けたものの、気後れがして店内に入れず、二度三度と店の前を行ったり来たりして、そのまま帰ってしまった事が三、四回ほどあった。つまりフラッと立ち寄る事は出来なくて、句会とかお祝いの会とか阪西さんが、或いはうさぎさんが当番だからとか言い訳を付けないと、お店に入れないんでした。

(宮本佳世乃さんの現代俳句協会新人賞パーティのときの一枚。中段右から三番目が憲武さん)

そういう訳で、僕が銀漢亭へ行けたのは、十回くらいでしょうか。極めて希少な訪問だったけれど、カウンターに腰を下ろしてぼんやりと店内の様子を眺めていると、気の置けない人たちが、気の置けない会話を交わしている。俳人たちのアジールという言葉がぽっかりと浮かんで来た。避難場所であり、自由な空間であり、神聖な場所であるのだ。「お酒が飲めたらなあ」と思う事もあった。

うさぎさんの当番の日に、自作のランダムな選曲のコンパクトディスクを持参して、店内で流してもらった事があって、その時、DJとしてロック、ボサノヴァ、ジャズ、ポップス、テクノ、クラシック、歌謡曲、長唄、ワールドミュージックなど、次から次へと掛けられないかなと、ふと考えた。

その思いは日毎に強くなって、今年は銀漢亭でDJデビューを!と目論んでいたものでした。もうちょっと早く思いついていたらよかったのですが。


【執筆者プロフィール】
中嶋憲武(なかじま・のりたけ)
1960年東京都生まれ。1994年「炎環」入会。「豆の木」参加。炎環同人。1999年、炎環新人賞。2009年炎環賞、炎環エッセイ賞。2018年、第四回攝津幸彦記念賞優秀賞。2019年、第0句集「祝日たちのために(港の人)」



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