俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【第3回】葛飾と岡本眸

【第3回】葛飾と岡本眸

広渡敬雄(「沖」「塔の会」)

葛飾郡は、古くは千葉、埼玉、茨城に跨る地域であった。東京の東部に位置する葛飾区は区域全体が荒川の外側にあり、千葉県埼玉県と隣接する。柴又は柴又帝釈天の門前町、名物の草団子、煎餅、川魚料理(川甚)、茶店等が連なり、山田洋次監督の「男はつらいよ」で一躍全国に知れ渡った。間近を江戸川が流れ、都内唯一の渡舟があり、伊藤佐千夫の「野菊の墓」演歌「矢切の渡し」でも知られる。

区の北部には都内唯一の水郷の景観を持つ広さ62ヘクタールの水元公園があり、花菖蒲が名高く江戸前金魚の展示場もある。岡本眸は結婚後から永らく区内の金町駅前に居住し、〈駅前が好きで住みつき明易し〉等を残している。

著者の代表句のひとつ〈残りしか〉の句は、夫急逝翌年の昭和52年の作で、第3句集『二人』に収録。自註に「荒川に鴨たちは忘れずにやってくる。夫が通勤の途次、最も喜んだ車窓の景。その鴨も大半は去って、、、」とある。「お前もかと呼びかけて『残る鴨』とわが身の不幸をかこちあっているのが『残されゐしか』だろう」(鷹羽狩行)、「これは万人の心を揺さぶる。中七までのその現況を宿運的に問い返しており、『残る』とは重い現実に他ならない」(友岡子郷)、「深い悲しみを超越した人生の感慨、生きとし生けるものに等しく訪れる歳月の移りゆきのかなしさに触れた感がする」(西村和子)等々の鑑賞がある。

残りしか残されゐしか春の鴨   岡本 眸
葛飾や桃の籬も水田べり     水原秋櫻子
葛飾や夏至のつばめをかほの前  黒田杏子
駅前に寅さん像やうららけし   大竹多可志
川甚の掃くほどもなき落葉掃き  片山由美子
柴又帝釈天の松手入かな     広渡敬雄
雲雀野を結ぶ矢切の渡し守    桂樟蹊子
目にうつる大方は水花菖蒲    八木原高原
屑金魚花の如くにあつまりぬ   藺草慶子

(柴又帝釈天)

岡本眸は、昭和3(1928)年都内江戸川区に生れ、本名は朝子、二度の空襲に被災。聖心女子学院専門学校を休学退学後、日東硫曹㈱に勤務し、社長秘書の同25(1950)年から富安風生指導の職場句会の幹事を務め、同31年からはその主宰する「若葉」に入会、同33年同編集長でもあった岸風三樓主宰「春嶺」にも入会する。春嶺賞、若葉賞受賞後、同37年、句友曽根けい二と結婚。子宮癌摘出手術、父母の死を経て、同47(1972)年、第一句集『朝』で第11回俳人協会賞受賞。同51年、第二句集『冬』上梓後夫が脳溢血で急逝。同54年「俳句を日記のように」を掲げ「朝」を創刊し主宰となる。

(矢切の渡し)

平成元年(1989)年からは毎日俳壇選者となり、紫綬褒章、勲四等宝冠章を受章し、同19(2007)年、第10句集『午後の椅子』で第41回蛇笏賞、第49回毎日芸術賞を受賞。同28年「朝」終刊し、「栞」(松岡隆子主宰)、「予感」(仲村青彦主宰)に継承後の同30(2018)年9月15日逝去。享年90歳。句集は他に『二人』『母系』(現代俳句女流賞)『十指』『矢文』『手が花に』『知己』『流速』、著書には『日常吟と自分史』『俳句は日記』等がある。「戦争体験、兄の戦死、父母の死、子宮癌手術等を通して死の淵を見たからこそ「生の世界」があり、日々の営みの「暮し」を丁寧に紡いできた。

作者の身体を通り抜けて来た等身大の言葉ゆえ魅力的である」(藤本美和子)、「日常性の背後に深い思想性が潜む」(酒井佐忠)、「自己内問答を通した自己凝視は己れの存在の確証へと向かうが、その行為は孤心を見つめることとなり、孤独に繋がるその自己凝視の冷酷さこそ眸俳句の最大の魅力」(富田正吉)、「時代を負った暗い内面性も垣間見られる」(今井聖)、「普通の生活者が過剰なまでに日々の些事を本質的に視ようとする志向こそが岡本眸の凄みである」(堀下翔)等々の評価がある。

夫愛すはうれん草の紅愛す
柚子湯出て夫の遺影の前通る
雲の峰一人の家を一人発ち
渾身に真向へば夏美しや
抱かねば水仙の揺れやまざるよ
秋風や柱拭くとき柱見て
生きものに眠るあはれや龍の玉
日傘さすとき突堤をおもひ出す
飲食のことりことりと日の盛
日向ぼこあの世さみしきかも知れぬ
仰ぐとは胸ひらくこと秋の富士
白し疾し十一月は一紙片
雑炊や戦後寒かりし若かりし
梅筵来世かならず子を産まむ
をみなにも着流しごころ夕永し
ひとり身はどこか若気や切山椒
本当は捨てられしやと墓洗ふ
目の前の些事こそ大事日照草
温めるも冷ますも息や日々の冬
初電車待つといつもの位置に立つ
鳥雲に入る思ふとは秘すること
春の夜の孤りといへど浴後の香
おそらくはわが背暗しよ鳥帰る

出かける時は、金町駅のホ―ムのいつもの定位置で電車を待つ、その繰り返しの日常の行為を心を籠めて詠うことで、自身の生き方を確認する暮しぶりは、言葉をかえれば日々が行であったのかも知れない。

 (「たかんな」令和元年7月号より転載)


【執筆者プロフィール】
広渡敬雄(ひろわたり・たかお)
1951年福岡県生まれ。俳人協会会員。句集『遠賀川』『ライカ』(ふらんす堂)『間取図』(角川書店)。『脚注名句シリーズⅡ・5能村登四郎集』(共著)。2012年、年第58回角川俳句賞受賞。2017年、千葉県俳句大賞準賞。2017年7月より「俳壇」にて「日本の樹木」連載中。「沖」蒼芒集同人。「塔の会」幹事。


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