【第69回】
東吉野村と三橋敏雄
広渡敬雄
(「沖」「塔の会」)
奈良県東部の東吉野村は、台高山脈の北辺、高見山の西側に位置し、神武天皇ゆかりの伝承の史跡(鳥見霊畤)であり伊勢街道、紀州藩参勤交代の道として発展してきた。
幕末一八六三年 に大和国五条で挙兵した勤皇・天誅組が当地鷲家口で幕府側彦根藩兵と戦い、総裁の吉村寅太郎らが死亡し、天誅組は壊滅したが、明治維新の先駆けと言われる。日本最後の「ニホンオオカミ」が捕獲され、現在は大英博物館で標本になっている。
又当地小には、「ホトトギス作家」で「鹿火屋」主宰となった俳人原石鼎の上京前の旧宅(石鼎庵)があり、村をあげて俳句誘致に努め「俳句の里」として多くの俳人の句碑巡りが楽しめ、「深吉野賞俳句大会」も開催され、「天好園」も俳句の宿として知られる。(※は村が建立した句碑)
絶滅のかの狼を連れ歩く 三橋敏雄※
頂上や殊に野菊の吹かれ居り 原 石鼎※
鷹舞へり青嶺に隠れ現れて 右城暮石
日の神が青嶺の平ら照します 山口誓子※
霊地にて天降るしだれざくらかな 能村登四郎※
千年の杉や欅や瀧の音 草間時彦※
おのづから人澄む水の澄める里 後藤比奈夫※
深吉野の闇かきわけて蛍狩 鷹羽狩行※
〈絶滅の〉の句は、第二句集『眞神』収録、ちなみに眞神は狼の古称で、敏雄の代表句として広く愛唱されている句。「明治三十八(一九〇五)年、現在の奈良県東吉野村鷲家口で捕獲された一頭の若い雄の狼が最後の日本狼となったとの記録を読み、一挙に同地を訪ねたいと思ったが、永い間果たせない思いが積もるうち、想像の世界にまぼろしの狼をとらえた。いつしか私は一頭の狼を連れて、かの地深吉野の山中を歩いていた」と自註にあり、当地の名勝七瀧八壺に句碑がある。
「掲句の狼は、三橋の心象のそれであり、祖先たちが神と呼び、畏怖し崇め、共に生きとし生きて来たものへの追悼、寂寥の句」(松谷富彦)、「三橋の生き方として、狼的なものを常に心に置いており、俳句に置いて〈一匹狼〉の様に、独自のものを追求する匹狼、群れに属さない批判精神の表れ」(荒木みほ)、「この絶滅の狼は、豊かに稔ったとは言い難い新興俳句の喩えであろうか。敏雄は忘れない男である。幻の狼を連れ歩く姿がこんないしっくり似合う俳人はいない」(池田澄子)の鑑賞があり、〈狼を詠みたる人と月仰ぐ 茨木和生〉、〈狼も詠ひし人もはるかなり すずきみのる〉〈おおかみに蛍が一つ付いていた 金子兜太〉の句も知られる。
三橋敏雄は、大正九(一九二〇)年、八王子市生まれ、実家は絹織物業だったが、家業が傾き書籍取次の東京堂(現・トーハン)に入社し、夜間は実践商業学校に学ぶ。職場の先輩の勧めで社内俳句会「野茨吟社」に参加。山口誓子句集『凍港』『黄旗』を借りたことを契機に新興俳句系の作品を読みふけり、本格的に作句を志し「馬酔木」「句と評論」に投句開始。渡辺白泉、高屋窓秋とも会い、「風」(白泉等編集)に参加し、昭和十三(一九三八)年十八歳の折、「風」に「戦争」五十七句を発表し、誓子の絶賛を得た。西東三鬼の知遇を得て、「京大俳句」準会員となり、卒業と共に東京堂を退社し、三鬼の経営する貿易会社に入社した。
「京大俳句」会員になるものの、弾圧で休刊になり、白泉等と古典俳句研究、実作に没頭した。同十八年には、召集され横須賀海兵団に入団後に、八王子の留守宅が焼失して敗戦なった。昭和二十一(一九四六)年に運輸省航海訓練所に採用され、練習船事務長として。同四十七年迄船上勤務につく。同二十八年、三鬼主宰誌「断崖」に同人参加。現代俳句協会会員となり、三鬼逝去後には、同人誌「面」創刊に参加、同四十一(一九六六)年、第一句集『まぼろしの鱶』を上梓し、第十四回現代俳句協会賞を受賞した。
両師『西東三鬼全句集』『渡辺白泉句集』の刊行に尽力しつつ、第二句集『眞神』を上梓。同五十七年には『三橋敏雄全句集』を刊行し、朝日文庫『現代俳句の世界』(全十六巻)の解説執筆を開始した。平成元(一九八九)年には第五句集『疊の上』で第二三回蛇笏賞を受賞。角川俳句賞選考委員、讀賣俳壇選者にも就任するも、平成十三(二〇〇一)年、逝去。享年八十一歳。句集は他に『長濤』『しでらでん』があり、私淑のち師事した俳人に池田澄子、遠山陽子、三橋孝子等がいる。
「昭和十年代の俳壇に(新興俳句の清新な内容と表現力、無季俳句の可能性、戦火想望俳句)と四十年代俳壇(に詩精神の表現として俳諧を活用)とまさに二度にわたって、きわめて出色の新人として登場したことになる」(高柳重信)、「有季俳句にさしたる期待を持たず、俳句にかかわる希望を無季に求めた彼の急逝によって俳句界は、ここに一人の貴重な人材を喪った」(鈴木六林男)、「俳句になによりもあらまほしき完璧な俳句形式、完璧な表現を希求した。俳句形式、言葉に対する信頼が大きかったからであろうが、高柳重信同様、俳句形式に殉じた一人」(宗田安正)、「伝統と反伝統、具象と抽象、瞬間と永遠等相反する要素が弾き合い、且つ融合することによって引き起こされる力を内に秘めた文芸である俳句、そのダイナミズムを大いに活用した」(角谷昌子)、「「攻めの俳句」を最後まで実行し、自身の病苦や迫る死への怖れを詠まず、「ストイシズム」を貫いた「したたかなダンデズム」の精神が光る(遠山陽子)、「最期まで過去の他者をも、自作をも超えることを自身に課した俳人で、表現行為は自己啓発のみにあると、学ぶ名句の少ない無季俳句の可能性を生涯追求し少数派としての矜持を有した」(池田澄子)等の鑑賞がある。
かもめ来よ天金の書をひらくたび
少年ありピカソの青のなかに病む
労働祭赤旗巻かれ棒赤し
射ち来る弾道見えずとも低し
出征ぞ子供ら犬は歓べり
いつせいに柱の燃ゆる都かな
新聞紙すつくと立ちて飛ぶ場末
昭和衰へ馬の音する夕かな
鉄を食ふ鉄バクテリア鉄の中
渡り鳥目二つ飛んでおびただし
たましひのまはりの山の蒼さかな
絶滅のかの狼を連れ歩く
秋色や母のみならず前を解く
晩春の肉は舌よりはじまるか
蝉の殻流れて山を離れゆく
戦歿の友のみ若し霜柱
鈴に入る玉こそよけれ春のくれ
夏百夜はだけて白き母の恩
卓上の石炭一箇美しき
手をあげて此世の友は来りけり
裏富士は鷗を知らず魂まつり
桃採の梯子を誰も降りて来ず
表札は三橋敏雄留守の梅
長濤を以て音なし夏の海
井戸は母うつばりは父みな名無し
戦争と畳の上の団扇かな
汽車よりも汽船長生き春の沖
戦争にたかる無数の蠅しづか
あやまちはくりかへします秋の暮
海へ去る水はるかなり金魚玉
大正九年以来われ在り雲に鳥
山国の空に山ある山桜
当日集合全国戦没者之生霊
石段のはじめは地べた秋祭
みづから遺る石斧石鏃しだらでん
山に金太郎野に金太郎予は昼寝
新興俳句にも古典俳句にも通じ、書斎派として吟行句も、後日机上で仕上げ、普遍性を引き出した稀な俳人だった。戦後も無季俳句のテーマでもあった戦争に拘り続けた。
(書き下ろし)
【執筆者プロフィール】
広渡敬雄(ひろわたり・たかお)
1951年福岡県生まれ。句集『遠賀川』『ライカ』(ふらんす堂)『間取図』(角川書店)。『脚注名句シリーズⅡ・5能村登四郎集』(共著)。2012年、年第58回角川俳句賞受賞。2017年、千葉県俳句大賞準賞。「沖」蒼芒集同人。俳人協会会員。日本文藝家協会会員。「塔の会」幹事。著書に『俳句で巡る日本の樹木50選』(本阿弥書店)。
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