白芙蓉今日一日は恋人で 宮田朗風【季語=芙蓉(秋)】


白芙蓉今日一日は恋人で

宮田朗風

昭和の終わりの頃、若者たちの間でアメリカ映画の影響を受けたダンスパーティーが流行った。社交ダンスもディスコダンスもありのパーティーで恋の生まれる場でもあった。出逢いを求めて一人で参加する人もいれば、パートナーを決めて出席する人もいる。男性も女性も壁の花になるのを恐れ、事前に同伴者を探すようになった。特に男性は、意中の女性に同伴を申し出ることで恋に繋げようとした。人気のある女性は何人もの男性から誘いがあった。パートナーに選ばれた男性は、女性の家に迎えに行き、花束を渡す。その日は、ダンスの相手はもちろんのこと、空いた席に誘導したり、飲み物を運んだり、始終エスコートをする。最後は家まで送ってゆく。ダンスタイムでは、最初の一曲はパートナーと踊るが、それ以降は誰と踊っても良い。パートナーに選ばれたからといって恋人になれるとは限らない。女性もまた、一人で参加するのが恥ずかしいため必死になって同伴者を探す。パートナーを申し出てくれた男性に対して何の想いを抱いていなくても承諾することもある。あぶれた者同士が同伴することもあり得る。だけれども、その夜だけは恋人のように一緒に行動するのだ。

私は、ダンスパーティーの流行った時代より少し遅れて成人を迎えた。大学時代にアルバイトをしていたショットバーの先輩バーテンダーが結婚することになり、二次会のダンスパーティーに招待された。地方都市のダンスホールに一人で行くつもりであったが、十数歳年上の常連客から「一緒に行きませんか」と誘われた。最寄り駅で待ち合わせたかったのだが、家まで迎えにきてくれた。「早めに着いたので軽く食事をしましょう」と連れて行ってくれた店は予約制のフレンチで少し戸惑った。ダンスホールに到着すると皆が「二人は付き合っていたの?」と言うのでさらに戸惑う。始終一緒に居てくれて、食べ物も飲み物もさり気なく運んできてくれる。普段はお客様の男性にこんなに気を使わせてしまって良いのかと真剣に悩んでしまった。家の前で別れる時「今日は、お姫様のように扱ってくれてとても嬉しかったです。ありがとうございました」と言うと「僕の方こそ、一日だけでも貴女の恋人になれて良かった」とほほ笑んだ。三十歳を過ぎた独身貴族の挨拶だと思い、軽く受け流した。後日、告白された時には大いに驚いた。ダンスパーティーに一緒に行くことの意味を全く理解していなかった若い時の話である。

白芙蓉今日一日は恋人で   宮田朗風

作者は、新潟県魚沼市在住の現代俳句協会会員。ネットで検索すると〈秋の海佐渡とおぼしき点一つ 朗風〉〈鬼灯を鳴らしていつも三枚目 朗風〉といった、飄々とした詠みぶりの作品が出てくる。

掲句は、芙蓉が朝に咲き夕方には萎んでしまう一日花であることが念頭に置かれている。「芙蓉の顔」は美女のたとえであり、花言葉は「しとやかな恋人」だ。芙蓉の本意のど真ん中を突いた句なのではあるが、一日だけの恋人という特殊な状況が面白い。

高浜虚子が〈白芙蓉の白きより白きは無し〉と詠んだように、白芙蓉の眩しさには触れがたいものがある。陽にも風にも透ける儚げな風情は、近くて遠い女性を思わせる。大切な一日を自分だけのために使ってくれた、ただそれだけで嬉しい。本当の恋人同士にはなれない女性なのだろう。何かしらの事情があり一日だけ恋人になってくれたのだ。

とある男性の大学時代の話である。ゼミの先輩であった一歳年上の想い人は、自分を弟のようにしか扱ってくれず、いつも「子供みたいね」と言いながら何かと世話を焼いてくれた。服の染みを拭いてくれたり、風邪薬をくれたりと些細なことではあったが、こんな女性と結婚できたらいいなと思っていた。彼女が「卒業したら実家の家業を継ぐの。だから残りの大学生活は、できるだけ大学生っぽいことをしたいな」と言いだしたのは、ゼミの仲間数人と学食でカレーを食べていた時である。窓の外には赤とんぼが行き交っていた。「例えばどんなことですか?」「遊園地に行って、ハンバーガーを食べたいかな」。それのどこが大学生っぽいのか分からなかったが、家業の手伝いと勉学に明け暮れていた彼女にとっては、学生のうちにやってみたいことの一つだったのだろう。「遊園地、いいね。どこの遊園地にしようか」と語り合っているうちにチャイムが鳴り、話は有耶無耶になった。数日後、「今度の日曜日に遊園地へ行きませんか」と電話をかけた。「ゼミのみんなの予定は大丈夫なの?」「ええ。その日は空いているみたいです」。二人だけでとは言いだせず、咄嗟に嘘をついた。

10時開園の遊園地の入口にはピンクや白の芙蓉の花が咲いていた。「あれ?みんなはまだ来ないの」。一日パスポート券を受け取りながら彼女は聞いた。ポニーテールに結った髪型が白いデニム生地のロングワンピースによく似合っていた。「すみません。みんなは来ません。今日は僕とデートして下さい」。しばしの沈黙の後に「やだ、みんなで食べようと思ってマドレーヌを焼いてきたのに」と言った。「僕が全部食べます」。二人の間に少し涼しくなった秋風が通り抜けた。「うふっ。仕方ないわね。じゃあ、今日一日だけは恋人になってあげる。だから、私の我儘を思いっきり聞いてね」。颯爽とゲートをくぐり抜けてゆく彼女のあとを追いかけた。苦手なジェットコースターもお化け屋敷も輝きに包まれていた。普段は全く美味しいとは思わない薄っぺらなハンバーガーもカチカチのフライドポテトも異国の不思議な食べ物のように感じた。観覧車に乗った時、窓から夕陽が差し込んできた。「私の彼はね、5歳年上で仕事が忙しくて土日は逢えないの。遊園地もハンバーガーも嫌いなの。小さい頃から、恋人と遊園地に行くのが夢だったから、少し淋しかった。でも今日は、とても楽しかった。ありがとう。貴方は優しい人だから、きっと素敵な彼女ができると思う。頑張ってね」。頂上に達した観覧車からは、町を流れる川が見えた。秋の陽にきらめく川は河口近くで二つに分かれていた。

閉園の音楽を背にゲートを出ると芙蓉の花が萎んでいた。「魔法がとけたシンデレラみたいね」。皺くちゃに丸まった花は確かにみすぼらしく見えた。「じゃあ、ここで解散にしましょう。またね」。大学の校門で別れるときと同じようないつもの顔で去っていった。

結局、我儘を聞いて貰ったのは自分の方だった。一緒に写真を撮ったり、お揃いのキーホルダーを買ったり。写真の彼女は笑っているようで笑っていなかった。あまりにもはしゃぎすぎた自分の顔が道化師のようで哀しかった。何の価値もない星の形をしたキーホルダーだけがきらきらと光っていた。宝物のような想い出の証として。

篠崎央子


篠崎央子さんの句集『火の貌』はこちら↓】


【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓


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