霧まとひをりぬ男も泣きやすし 清水径子【季語=霧(秋)】

 動植物に自己の内面を託して詠んだ句は、少女のような無邪気な感性とともに怖さを孕んでいる。

  追想をすれば真葛ヶ原くすくす

  お彼岸のをみならはみな蝶であれ

  アネモネになりたる事も夜明けまで

  睡魔ゐて螢袋を出られぬ日

  身が茂る青蘆原の蘆となり

  乳房もつ白鷺か森に隠れたり

 たくさんの別れを経て長寿となり、晩年には滑稽味のある句を詠んだ。淋しさのなかから見出した明るい世界は穏やかで、余生を楽しんだと思われる。

  桃のスープ人はやさしきことをする

  をみなをのこ集まる泥のやつがしら

  わたくしの電池を替へてみても秋

  倒れたる板間の葱に似て困る

  春の野のどこからも見えぼへみあん

  露なんぞ可愛ゆきものが野に満つる

  ねころんで居ても絹莢出来て出来て

  おいしい水にわれはなりたや雲の峰

 若くして結婚し離婚した径子がどのような恋愛をしたのかは分からない。激しい想いと満たされない孤独があったことが想像される。

  山椒の実噛み愛憎の身の細り

  枯るるまでさ迷うて居る恋慕とは

  溺愛をするべく雪はまだ序曲

  落椿見付けられすぐ見捨てられ

  ほととぎす言葉みじかきほど恋し

  天さびし熟麦あつく擦りあへば

  死思へば君とのことは青葉木兎

 肉親の死による喪失感を生涯にわたって詠み続け、壮絶な孤独を詩への原動力とした。淋しさから生み出された言葉は、強く激しい。だが、季語と融合することで独特の世界を構築していった。

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